10月に帰省したのは、父方の祖母が亡くなったからでした。天寿を全うしたので、「おばあちゃんありがとう。
よかったね」 という気持ちでお別れができました。 今回の帰省は四十九日の法要のため。
私のまわりで、もっとも 「姫」な存在感をもっていた人が、その祖母でした。
ここ数年はベッドですごしていたので着飾るわけでもなく、痴呆もはじまっていたのに、ちょっとした所作や
気配が、そう感じさせる人でした。
遊びにいくと、にっこり微笑みながら首をかしげ、「こんにちは」 と挨拶してくれる、それだけの姿にも、
使ったあとの洗面台を丁寧にゆったりと拭く仕草にも、なぜか惚れ惚れとさせられました。
幼少~娘時代の華やかな逸話をよく聞いたこともあり、私にとっては、苦労の似合わない「おひめさま」だった祖母。 お琴と俳句と三越が大好きでした。
養子を迎えて結婚したので、同じ年代の人より苦労は少ないほうだったかもしれません。それでも、日本が
欧米列強と肩を並べはじめた時代に生まれ、優雅な生活を経験した後の戦争体験、敗戦後の改革で生活が
一転するなか4人の子供を育てあげたのだから、私などには考えられない苦労があったはずです。
葬儀の喪主挨拶で、父がこんなことを言いました。 (後に文章に起してもらったものより抜粋)
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戦後の混乱・困窮の中、何故農地を全面解放したのかと母はよく悔やんでおりました。しかし母は、不思議と苦労を苦労とせずに生きております。当時ラジオにかじりつき家族みんなで「君の名は」のドラマを聞き、歌番組ではしょっちゅう歌を歌っていたのを思い出します。
母はきっとこんな思いで天国へ行ったのだと私は思っております。子供である我々に対しては、「健康に注意しなさい。メタボリックになんかなったら、みっともないですよ」
集まってくれた6人の孫達には、こう言っているでしょう。 「働き盛りには、苦しいことや悔やむこともあるでしょう。でもそれはむしろ当たり前のことだと思って、美しく、優雅に生きなさい 」
~
それでも、美しく、優雅に。
祖母からそういう言葉を聞いたことはないけれど、祖母自身が示していたことでした。
自分がそうありたいと無意識に思っていたことを、言葉にされたようでもあり、はっとしました。
93歳で生涯を終えた棺の中の祖母は、穏やかで優雅で、やっぱり可愛らしい「おひめさま」に見えました。
いろんなことを抱えながらも、そして、飾らない姿でも、気品と優美さを失わないこと。
「エレガンス」という言葉にすると女性向けの印象がありますが、男性が半分いる私たち孫に向けて、祖母らしいメッセージを父が選んでくれたことも、嬉しかったです。
祖母が祖母らしく旅立つことができたのは、両親の手厚い介護があったからこそ。この3年間、自由がきかず不便なことも多くあったと思いますが、本当にがんばってくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは二人のペースで、好きに余生を楽しんでもらいたいな。
四十九日の法要では、お寺さんからこんなことを教えていただきました。
南無阿弥陀仏 というのは、「ありがとう」という気持ちをあらわすお念仏。 手をあわせて、自分のお願いを聞いてもらおうというのではなく、阿弥陀様が自分に与えてくださったこと、阿弥陀様が自分に何をしてほしいと願っておられるかを考え、感謝の気持ちを伝えるためのもの。
実はこれまで、意味もわからず南無阿弥陀仏と唱えながら、心が同じ方向を向いているのか自信がもてず居心地が悪かった私・・ これで、自分の言葉として、手をあわせることができそうです。
先祖の供養はしっかりさせていただかないと、と改めて思います。
