前回の記事の続きです。

 

 

もしも、私たちの人生が

単なる幻想(フィクション)で、

 

人生のシナリオが全て決まっている

映画のような物だったとしたら、

 

私たちはリアルな体験をすることで

 

「魂を成長させるために生きている」

 

のかもしれないと私は考えています。

 

 

では、魂を成長させるとは

一体どういうことでしょうか?

 

 

  試練によって人は成長する

 

 

人生には思い通りにならない

トラブルや試練がつきものです。

 

「もっとこうだったら良かったのに」

 

「どうしてこんなに苦しい経験を

 しなければいけないのか」

 

と思うような出来事も

たくさん起こります。

 

 

仮に、最初から最後まで順風満帆で

 

何の悩みも苦労もない人生

だったとしたら、

その人のは成長するでしょうか。

 

 

自分自身が苦しい経験をするからこそ

 

弱い立場や苦しい立場にある人の気持ちを

理解し共感できるようになります。

 

 

苦しみや試練を乗り越えられた人は、

 

その経験を人に伝えることで

誰かを助けることができます。

 

人は弱さや苦しみを経験するほど

より優しく、器の大きい、

強い人になっていけるのです。

 

 

そう考えると、

 

人生に起こる嫌なことや悲しいことも

 

「自分の魂(内面)を磨くための経験」

 

だったと捉えることができます。

 

 

  物事の見方を変える

 

 

本来、起きる出来事に

「良い」「悪い」

はありません。

 

 

たとえば、一般的に

「おめでとうございます」と

言われるような良い出来事

(結婚、出産、就職、入学・卒業など)も、

 

一般的に不幸だと思われるような出来事

(葬儀、事故、災害、病気、貧困など)も、

 

出来事そのものには

プラスもマイナスもありません。

 

ただその出来事を観測した自分自身が、

どう感じ、何を思うかで

 

「これは良かった」

「あれは悪かった」

 

という判断をしているだけです。

 

 

過去に起きた出来事に対して

どのような意味づけをし

どのように解釈するかは自由であり、

 

完全にあなた自身に委ねられています。

 

起きた出来事に対する理由や評価を

決めるのはあなた自身で、

 

周囲の人々の価値観とは

切り離して考えていいのです。

 

 

つまり、今まで「不幸」だと

思っていた出来事も

 

見方を変えれば、

 

「そのときの自分に必要な気付きや

 学びを与えてくれた出来事」

 

になるということです。

 

人それぞれ、

そのときの自分のレベルに合った

課題や出来事に遭遇し、

 

その経験から必要なことを

学んでいるのかもしれませんね。

 

 

  人間万事塞翁が馬

 

 

人生に起こる出来事が

「良いこと」なのか、

 

はたまた「悪い事」なのかは

なかなか予測ができません。

 

起きた出来事が

幸か不幸かは

簡単に判断できない

 

という意味の言葉で、

 

「人間万事 塞翁が馬」

(じんかんばんじ さいおうがうま)

 

ということわざがあります。

 

これは、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」

に書かれている以下の話が

由来になっています。

 

 

『中国の北の国境の近くに、

 占いが得意なおじいさんが

 住んでいました。

 

 あるとき、おじいさんの飼っていた馬が

 逃げてしまったので、

 みんなは同情しましたが、

 

 おじいさんは

「これは幸運が訪れる印だ」と言いました。

 

 するとその後、逃げた馬は

 立派な馬を連れて帰ってきました。

 

 そこでみんなが祝福すると、

 今度はおじいさんが

「これは不運の兆しだ」と言うのです。

 

 しばらくして、おじいさんの息子が

 その馬から落ちて

 足の骨を折ってしまいました。

 

 そこでみんなが同情すると、

 おじいさんが「これは幸運の兆しだ」

 と言いました。

 

 やがて戦争が起きて、

 おじいさんが住んでいた場所も

 戦争に巻き込まれてしまいました。

 

 しかし、おじいさんの息子は

 足を骨折していたため、

 戦争に行かずに済んだのです。』

 

 

つまりこのことわざは、

 

「人間(じんかん)=世間、世の中、人生」

「万事(ばんじ)=あらゆること」

 

「塞(さい)=城塞、とりで」に住む

「翁(おう)=おじいさん」の馬

のようなものであるという意味です。

 

 

私たちの人生にも、

 

幸せだと思っていたことが

不幸な結果になったり、

 

逆に不幸だと思っていたことが

後になって良い結果につながることが

あるかもしれません。

 

 

つまり、起きる出来事自体には

そもそも幸も不幸もなく、

 

出来事の良し悪しは全て

 

「私たちの解釈で決めている」

 

ということです。

 

 

  まとめ

 

 

これを読んでいるあなたにも、

 

忘れたいくらい辛いことや

 

今でも後悔していることが

 

あるかもしれません。

 

 

すぐに見方を変えることは難しい

かもしれませんが、

 

起きてしまった出来事も

 

「何か自分にとって

 意味があったのかもしれない」

 

「何かの学びだったのかもしれない」

 

と思うと見方が変わってきます。

 

 

どれだけ考えても

理由が分からないことに関しては、

 

今は無理に理由を探したり、

何らかの判断をする必要はありません。

 

時間が経てば自然と

解決するかもしれませんし、

 

いずれほとんど思い出さなくなる

かもしれません。

 

もしもいつか

 

その出来事が起きた意味を

理解できるタイミングが訪れたら、

 

それはあなたにとって

 

「幸せなこと」

 

になるかもしれませんから。