①のつづき
…なんですが、↓クリックしてもエラーになります。
当初UPした①の唯一の痕跡。確かにUPされていたのです~
コメントでなく、メッセくださった方がいまして。
今となっては幻となった①、読んでくださった方がいて報われました
さらに同様の事案があることも教えてもらったので、いずれシェアするつもりです。
とりあえず①が消えたた先延ばしになってた②です
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ここからはドキュメンタリー公開後の記事になります。
4月26日
バンド脱退についてリッチー・サンボラと話すのを
「10年間ドアの前で待っていた」と語る(独占)
リッチーはドキュの中で
「この状況から離れたことは後悔していないが、やり方は後悔している」と語りました。
自分の精神が自分をドアから出させてくれなかったのだと。
対してジョンはドアの前で10年待ったと話し、リッチーを自宅に招き
3部までを一緒に観たことなど話し、「敵意は決してない」と…
ここから独占情報です
以下、記事の自動翻訳(ちょっと手直し)
しかし、サンボラ関係者は『PEOPLE』誌に、「リッチーはジョンに会うために飛行機で出かけ、誕生日プレゼント(とても素敵なギター)を持っていったが、代わりにジョンはドキュメンタリーを上映した。
リッチーは3回目のエピソードが終わったところで、見るものにうんざりして帰ってしまったんです」。
情報筋はこう続ける:
「彼は自分のキャスティングの仕方が気に入らなかったんです。彼は、バンドからの脱退をどのように説明したかに同意していない。彼にとっては、お金という通貨よりも幸せという通貨の方が重要なのです」
以前people誌がリッチーの関係者として扱った話…リッチーがMusicaresのジョンのPerson Of The Year授賞式に欠席した理由…が出た時
会場で同様の話をしていたのはナイル・ロジャースでした。
(彼が出処だったと確定はされてませんが)
Peopleさんですし、信憑性はある寄りのありかな?はあ。
リッチー、以前にもジョンの誕生日にギター贈ってましたよね。
そりゃもう素晴らしいビンテージギターに、ボブ・ディランのサインまでもらって。
(さらにそのギターをボブ・ディランが気に入ってしまったため、
もう一度探しなおすという苦労も重ね…)
久しぶりの再会に、またギターの誕プレを持参したんですねリッチー。
なんかものすごくいい流れだったのに…はあ。←2回目
4月27日
JBJが「Livin' on a Prayer」を書いたとき「それほど感動しなかった」理由:「私は間違っていた」(独占)
これもファンの間ではおなじみですが
”Livin' on a Prayer”も”Always”は当初ジョンはあまり気に入ってなかったって話。
Livin’~はリッチーやデズモンドの強い希望がありましたが
”Always”の可能性にも気づいた友人がいたことなど、ジョンが語ってます。
ジョン・ボン・ジョヴィの21歳の息子ジェイク・ボンジョヴィのすべて
ジェイク(とミリー)に焦点をあてた記事ですが
ジョンとドロセアさんの子育て方針がよくわかります。
「俺の人生は人々が想像するよりもはるかに普通だよ」
「家のどこにもプラチナレコードは飾られていない。ロックスターの地位を飾る装飾品はうちの家の一部ではないんだ...幼い子供たちは、俺が何をしているのかよく知らなかった。」
確かにそういったものは「離れ」にまとめられてますよね。
子供たちを固くマスコミから守り、普通の子として育てたジョンとドロセアさん。
自分の生きざまから労働理念を学ぶだろうとの言葉には唸るしかない~
4月28日
JBJ、"スピリット・シスター "シャナイア・トゥエインがヴォーカル手術の際に助けた意外な方法を明かす(独占)
Person Of he Yearのライブにも参加したシャナイア・トェイン。
彼女はジョンが受けた手術の経験者なんだそうです。しかも同じドクター。
「この件において、彼女は私の心の妹でした」(ジョン)
彼女は安心させてくれただけでなく、ジョークを言って手術を勧めてくれたみたい。
おかげで、ジョンは手術が待ち遠しかったと。
そうか…
暗い気持ちでなく、とっても前向きな気持ちで手術に臨めたのですね、ジョンは!
絶対よくなると信じて、また歌えるのを楽しみに
これは大きな違いですよね。
ありがとうシャナイア
以上、Peopleの記事はこんな感じです。
UPに長い時間かかってしまいごめんなさい
ではまた~