昨日の夕方、母から電話
 
母「にい(兄)がくるから遊びに来ないかい?」
 
即座に断ると、母は寂しそうにしていた。
 
昨年は気が乗らずとも行ったけど、結局後悔したため。(ただ単に話が楽しくないから)
 
過去に兄を恨んでいた時期があった。
今はもう全く恨みはなく、普通に話もするし、ある意味感謝をしている。
 
ただ、合わないものは合わない。
 
好きか嫌いかではなく、合うか合わないか。
 
合わない人と時間を共有するほど、暇ではない。その選択権は私にはある。
 
 
私は今世で、血の繋がりは重要ではない事を学びました。
 
家族との縁が薄かった分、他人との素晴らしい縁に多く巡り合えた。
 
人生で辛い時に支えてくれたのは、いつも家族ではなく血の繋がらない他人だった。
 
だから、私の中では家族≒他人なのだ。
 
そしてそう思えるようになったのは、私の家族が今の家族だったからなのだ。
 
 
なので、結局家族には感謝している。
 
今の家族がいたから、今の自分がいる。
 
 
身内(家族)≒他人
 
 
家族であっても、他人であっても、自分との距離感は変わらない。適度な距離を保つ。
 
家族だからわかって当然、ではなく、家族も他人と同じ立ち位置で尊重し、礼儀を持ち、接している。家族だから甘えて当然というのは、全く私の中にはない。
 
 
家族だからわかってあたりまえ
 
 
そう思っていた過去の自分はもういない。
 
 
夫婦だから分かり合える、そんな事もなかった。
 
 
結局、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく。
 
 
家族だけが特別で、身内が優先だった時代はもう終わりつつあるのかもしれない。
 
 
家族も他人も、どんなに自分にとっての都合の良くない人も、自分や他人の成長の為には欠かせない存在なのだから。