先日、高齢の父が「共同墓地の申し込みをしたい」と言い出した。
 
父は11人兄弟の長男だが、実家を継いだのは父の弟。実家は襟裳岬(えりも岬)の方にある。
 
なので今現在、父の墓はない。
父「墓を作って子供達に負担を掛けたくない」とのこと。

 

特に負担とは思っていないけど、私自身もいつかはあの世に行く為、結局息子たちに負担をかけてしまう。
 
放置されているお墓が多いのが現状。
 
お墓どころか、高齢者が多い地域は家までも放置されている。
 
昔と違い、1度都会に出た若者たちは都会で家庭を築く為、地元に戻ってくる確率はかなりの低さ。
 
過去記事↓
私は葬式も戒名もお墓も不要。
肉体を脱いだら土に(地球)にお返ししたい。
 
肉体は地球からお借りしているので、魂が抜けた後は地球にお返しする。
 
そこに儀式は必要ナシと思っている。
 
檀家になると何かある度に寄付金を請求されると父の知り合いから聞いた。
月命日のほか、寺の建て替えや増築時にも寄付金を要求され、年金暮らしで払えないと言うと分割でもいいと言われたらしい。
 
 
そんなお寺さんならなおさら要らない。
(本物のお坊さんも居ると思っています)
 
生きているだけで年貢を絞りとられ、死んだらお寺に絞りとられる。不思議な世の中………
 
そんな訳で、年末に息子たちに私の死後の事を一応話してみた。
 
共同墓地には入らない。自宅庭に愛犬と共に遺骨を埋めてほしいと。
縄文時代は土に埋めていたそうです。
 
次男は「てかさ、墓ってなに?」と言っていた。(次男も異世界かも)
 
今しか伝えられない、自分の死後のこと。
 
そもそも死=悪いこと、だとは思っていない。
この世に生まれた時点で、あの世行きは決定している。
 
もう充分生ききったし、いつお迎えが来てもいい、そんな心境である。
 
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以前、ご紹介した旅立ちれのんさんのブログ
 

 

 

 

私はグレイとは遭遇したことはないが、こちらの画面を見てドキッとしたのを憶えています。
 
 
実は同じ光景を、昨年に私も夢で見たのです。
 
私の街の、馴染みのあるホテルの4.5階まで水が浸水している光景でした。しかも夜だったので辺りは真っ暗。
 
家具やらいろいろなものが、辺り一面にプカプカと浮いていて、私もそこに浮いていました。
 
不思議なのは、夢の私は全く恐怖心もなかった。水も冷たくなかったんです。でも、自分以外の人も居なかった。
 
ただの夢だと思ってスルーしていましたが、上記のブログを見て「あ、同じだ」って思ったんです。
 
そういう未来もあるのかもしれない。
そんなくらいで、特に気にもとめていませんでした。
 
もしこんな現実が現れたとしたら、お墓どころか、今ある形あるものは全く意味を成さない。
 
平和で平凡があたりまえだと、永遠にこの日常が続くとずっと思っていた。
だがしかし、これからはいつ何が起こるのかわからない。そう思っているのは、実は私だけではないと思う。
 
 
 
 
 
お墓を否定しているつもりはないけど、自分には要らない。そして、お墓にご先祖様たちがいるのかというと、そこには居ないと思っている。
 
ご先祖さまは、私自身の体の中に引き継がれている。
だから、私は体を大切にしたい。
 
自分を大切にすることが、ご先祖様を敬うことだと思っています。
 
 
ご先祖さまの誰ひとり欠けても、自分は存在しない。今、自分がいるのは奇跡なのだと、どれほどの方が考えているのだろうか。
 
 
私は無宗教ですからお墓参りも行かず、神社にも行きません。
 
 
余談ですが、神社でお参りをした時、鏡がありますね。かがみの真ん中の「が」を取ると「かみ」になります。と小林正観さんの本にあり、なるほど、納得したワケなのです。「我」を取ると神は自分の中にいると。
 
 
 
 
神社に行き、何かをお願いするよりも、自分の心にある「我」をお掃除すること。
 
お墓参りに行くならば、毎晩寝る前に今日1日無事に終えたことをご先祖さまに感謝する。
 
そんな私を神様もご先祖さまも、微笑んで見てくれていると勝手に思っています。
 
目には見えない、だけど、想いは届く。
 
想う心こそが、目に見えるモノよりも大切なのだと私は思っています。
 
 
 
 
本日もお読みくださりありがとうございました。
世界中に笑顔が溢れますように🤗
そんな世の中になりますように。