あるジャーナリストの方が、奈良県医大病院に「安倍晋三元首相が死亡したことを証明する文書」の情報開示請求をなさったようです。流石と思うような核心を突いた質問ですね。

 

 

■「安倍晋三元首相の死亡証明」の情報開示の期限延長した奈良県医大病院

これに対して、奈良県医大病院は「安倍晋三元首相の死亡を証明する」情報開示を行わず、7月20現在で「開示期限の延長」(7月25日までの開示期限を45日間9月6日まで延長)と通知したそうです。

 

 

事件当日の奈良県医大の記者会見では、7月8日の17:03に同大学病院で元総理の死亡確認をしていると発表していますから、記者会見の中身が偽りのない事実であったならば、死亡診断書(死体検案書)は奈良県医大病院の担当医師が書いたはずです。

 

 

つまり、全てのことが説明通りならば「死亡したことを証明する文書」=「死亡診断書(死体検案書)」を開示するのは非常に簡単なことです。死亡診断書の控えがカルテに貼ってあるはずです。

 

 

それでも開示期限の延長を行ったのは「殺人事件の捜査中だから、被害者についての情報開示の期限延長を行った」という理由からなのでしょうか。

 

 

ですが、死亡したとされるのは「安倍元総理」であり、この事件は極めて国民の関心の高い事件です。

 

 

 

今後、容疑者を刑事事件で起訴して、裁判のために開示出来ない「秘密の情報」などがあれば、そこを黒くぬりつぶして診断書のコピーを添付して情報開示することはさして問題ないことのはずですが。

 

 

致命傷を与えたと思われる銃弾が何処からもみつかっていない

更に不思議なことに、致命傷を与えたとされる銃弾が結局のところ何処からもいまだに発見出来ていないそうです。

 

 

参議院議員の青山繁晴氏が7月20日に自民党の党本部で開かれた「治安・テロ対策調査会」に同調査会の幹事として出席し、警察庁からの出席者の「説明内容のおかしさ」を動画で指摘しておられます。

 

(この画像は青山繁晴氏のYouTube動画からスクショさせて頂きました)

 

この会議で警察庁が配られた資料を動画から書き起こした内容は、以下の様な極めて簡単な説明だったそうです。

 

事件までの時系列

(7/7=事件前日)

夕方頃 安倍元総理の遊説行程が概ね判明、奈良西署に情報共有し、県警本部で警備計画を策定

(7/8=事件当日)

朝方頃 県警本部長による警備計画書決裁 警護連絡室を設置(警衛警護・危機管理対策参事官が長)

11:17 安倍元総理が大和西大寺駅前に到着(演説会開会11:10)

11:28 安倍元総理演説開始

11:30 本事件発生

 

事件の概要

〇11:30過ぎ、被疑者が、演説中の安倍元総理の背後から銃撃し、その場で警察官が被疑者を殺人未遂の現行犯人として逮捕。

〇安倍元総理は奈良県立医科大学附属病院に搬送後、17:03に死亡確認。死因は失血死。

〇現場において手製の拳銃様のもの1丁を押収したほか、被疑者方から手製の拳銃様のものを押収。

〇被疑者は犯行を自認。動機について「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元総理が繋がりがあると思い、犯行に及んだ」等と供述。

 

事件そのものについてはたったこれだけの説明だったのだそうです。

 

後は警察庁からの説明や「手製の銃に係る検挙事例について」とか「爆発物原料に係る管理者対策」があり、経産省の官僚から「火薬類保安行政」の説明を行うという事件そのものから「話を逸らす内容」に終始していたそうです。

 

「致命傷を与えた銃弾が見つかっていない」ことについてのやりとり:

捜査一課長:「射出口は本当にない、盲管銃創であったことは疑いようがない」→青山議員「弾は司法解剖で発見されていないのか」→捜査一課長「致命傷になった弾以外に打ち込まれた弾があって、弾の形状は確認している」→青山議員「正露丸のような黒い丸い弾だったのか」→捜査一課長「そうです」というやりとりがあったそうです。

 

 

青山議員は警察庁に対して他にもいくつかの質問を出しておられるそうです。

 

 

■要人警護のマニュアルに従っていなかった奈良県警

日本の警視庁は、銃社会である米国から米国警察が採用している要人警護のマニュアルを伝授されており、それをマニュアルとして採用しているそうですが、奈良県警の当日の警護状況は明らかに異なるそうです。

 

実際には誰一人として「要人警護」のマニュアルに則る行動をしていなかったということらしいです。

 

 

本来ならば要人警護の基本は銃撃の際には要人に覆いかぶさって、身体を低く倒して守るのが基本だそうですが、そうした動作が全く反射的にとられていない。

 

 

銃社会の米国では金属探知機などでチェックができる屋内で演説をやるのが基本で、(岡山では屋内での応援演説会だった)日本では、屋外でやらざるを得ない場合は、台を大きなものにして、(狭い台の角など)突起物がないように作り、その周りを大きく囲む(近寄ってくるテロリストと距離を離して未然に取り押さえられるように)(現場はガードレールで狭く囲まれていた)つまり、明らかに不適切な場所と不適切な警護の仕方だった、と指摘なさっておられます。

 

 

 

 

「弾道」についても「要人警護の在り方」などについても、疑問となる部分は数多くありますが、本当のつっこみどころは何故、一刻を争う状況で、現場から最も近い病院に搬送しなかったのかという疑問があるのではないでしょうか。

 

 

事件の発生が11時32分で、奈良県立医大病院到着が0時21分。事件から搬送にかかった時間は49分、約50分です。これは救急搬送後に助けられるはずのないタイムロスです。

 

 

下のグラフは消防庁による応急手当と救命曲線の関係で、心肺停止からの時間経過がせいぜい20分以内(もっといえば15分)が蘇生のタイムリミットであることが示されています。

 

 

■消防局では事件発生の3分後に「心肺停止状態」と無線連絡を取り合っていた

事件は7月8日の午前11時32分に発生し、その直後に消防本部が出動を命令し、奈良市消防局の無線記録によれば約3分後には「高齢男性、拳銃で撃たれ現在CPA(心肺停止)状態と思われます」と交信していたことがわかったと報道されています。

 

「安倍元首相」といわずに、「『高齢男性』が心肺停止状態」と無線連絡しています。

 

これも本来ならば違和感を感じます。憲政史上最長の任期を務めた元総理で、与党の最大派閥の会長である国会議員という要人中の要人として、本来ならば特別警護されている人物が銃撃され、心肺停止状態で一刻を争う事態であるはずなのに、一切、特別な注意喚起がなされず、延々と無線のやりとりが記録されていたようです。これ、明らかにおかしいですよね?

 

心肺停止の蘇生率は7%弱くらい

心肺停止状態で搬送された場合の蘇生率は6.9%(2019年の心肺停止での救急搬送事例126,271例の蘇生率)と厳しく、脳の虚血ダメージを防ぐために低体温療法を行う(脳温を32度くらいに下げて治療する)、止血を速やかに行う、などが必須で、大和西大寺駅付近には2次救急指定病院があるので、まず、そこに搬送してそれらを速やかに行うべきだったと思います。(本当に助ける気があるならば)

 

 

現場の近隣には、2次救急指定の総合病院があります。50分かけて大学病院に搬送するよりも、止血と蘇生措置を一刻も早く行うことが最優先のはずです。

 

 

心肺停止で50分経過した後なら、脳が虚血に耐えられるはずがなく、どんな医療でも助けることは不可能です。大和西大寺駅の最寄りに「西の京病院」という二次救急まで行っている救急指定の総合病院がありました。勿論、三次救急を行っていないから受け入れ出来なかったという反論もありそうですが。

 

 

■そもそも実際には搬送されていない?!

これはNHK Worldの映像をCNNニュースで流した映像です。

ドクターヘリが飛び立ったのが0時13分と報道されており、事件発生(11時32分)からなんと41分も経過しています。

奈良県立医大付属病院到着が0時21分、飛行時間はわずか8分。

 

上の2つの映像からもわかるように、ドクターヘリの機体番号は「JA842H」。学校法人ヒラタ学園航空事業本部が所有している運用中の24機の内の1機です。

 

ところが、2022年7月8日には運用記録がありません。というよりも過去3か月間の運用記録が一切ありません。つまり、このドクターヘリは事件当日も、それ以前も暫く飛行記録がないのです。

 

 

つまり、メディアを通して流された上の動画(画像)などは実際には7月8日の映像ではなかったようです。合成画像だったのかもしれません。

 

 

 

■上空を飛んでいたのはメディアの取材ヘリ

一方、JA06AY(ABCテレビのヘリ)は7月8日に2回飛んでおり、これが飛行記録です。定置場は大阪国際(伊丹)空港のようです。

 

 

ここで、1回目の出発は11時51分で、つまり事件発生から約20分後に伊丹空港から現場に向かって飛び立った。

 

このぐるぐるは大和西大寺駅の辺りで、そのわきにあるのはドクターヘリ―に搬送された(ことになっている)現場で、南方向の奈良県立医大病院まで飛び、再び大和西大寺駅上空を通って伊丹空港に戻って行ったという航路のようです。

 

2回目の出発時刻は3時36分で、恐らく、昭恵夫人が奈良県立医大病院に到着する時刻を見計らって再び、奈良県医大病院にむかったと思われる時間帯です。

 

 

 

■「黒衣」で病院に向かった昭恵夫人

当日の16時55分に奈良県医大病院に昭恵夫人が到着したときの「黒衣」に私が何を感じたかといえば、「昭恵夫人は少なくとも、その場所に到着する以前から、安倍元総理の生存確率は0%=既に死亡しているという認識である」ということなのだなと。

 

 

東京のご自宅から家を出たのであれば、電車を乗り継いで奈良県立医大病院に到着するまで最低でも東京から京都まで2時間、京都から病院まで1時間半でトータル4時間くらいはかかるはずです。

 

 

ならば到着時刻から逆算して、昭恵夫人が都内のご自宅を出発したのは0時半くらいでしょうか。その時刻ならば、安倍元総理が奈良県立医大病院に搬送された直後くらいで、つまり、事件発生から1時間以内にご自宅を出発して病院に向かったとして、少なくともまだ一縷の望みをかけるお気持ちがあれば、果たして「黒衣」を纏って向かうでしょうか?

 

 

取り乱す様子もなく、あくまでも冷静な態度で病院の中に静かに入って行かれましたし、政治家の妻として大変な覚悟で過ごされているにしても、本来ならば、政治家の暗殺事件など日本ではめったに起こることではなく、朝までお元気で家を出た夫が銃撃事件によって心肺停止状態で病院に搬送されるという事態は降ってわいた突然の不幸であり、その割には淡々となさっておられ、冷静過ぎませんか?

 

 

 

遺体が病院から東京のご自宅に到着するまでに霊柩車が変っていた

 

司法解剖を終え、7月9日午前5時55分に病院を出発したとき、ご遺体をのせた車は奈良ナンバーの「リンカーンストレッチリムジン改の霊柩車」で、運転席の隣に乗っているのは昭恵夫人ではありません。

 

 

一方、都内のご自宅に到着したときの車は足立ナンバーの「ベンツEクラスワゴン改の霊柩車」で、運転席の隣に乗っていたのは「平服」の昭恵夫人でした。

 

 

 

棺とは粗略に扱えるものではなく、最低でも運ぶのには4人の人手がいります。

 

別の霊柩車に途中で棺を移すには人手もいるし、通常ならばわざわざ途中で棺を別の霊柩車に移し替えるなどということはやらないと思います。

 

「霊柩車が途中で変えられた理由は、安倍元総理のご自宅前の道路の幅員が狭く、クランクしている部分もあるので長大なリンカーンのストレッチリムジン改の霊柩車ではコーナーを曲がりきれないため、乗り換えられたのではないか」などの意見が出ています。つまり、最初の霊柩車を手配したのは明らかに昭恵夫人ではなかったようです。

 

 

霊柩車の助手席には最も近い身内が棺と共に乗車するのが普通ですが、病院を出発した際には、霊柩車には昭恵夫人が乗っていません。

 

 

実際には奈良県立医大病院にはドクターヘリが飛んでないし、誰も奈良県医大病院に搬送されておらず、翌朝も棺に入れて安倍家に戻るべき「ご遺体」なるものはないわけで、恐らく前夜は昭恵夫人は奈良県内か京都市内のホテルに宿泊なさって、そこから「ベンツEクラスワゴン改の『空』の霊柩車」に乗ってご自宅に戻られたのでしょう。

 

 

そのときの昭恵夫人は「黒い喪服」ではなく、普通ワンピースにクリーム色のジャケットという、霊柩車に乗る遺族としては少々違和感のある「平服」でした。

 

 

必死の心肺蘇生が行われていると報じられている中で「黒衣」を着て病院にかけつけるよりも、一夜明けて霊柩車に同乗する際に、遺族として「黒衣」を着るというのが自然であったような気がします。(そこまで演出なさるような小細工は出来ない性分の方なのかもしれません)

 

 

自宅の周りには高市早苗氏政調会長をはじめ、多くの国会議員の方々がどの人も弔意を表す黒の礼服で整列なさっており、一方、霊柩車の助手席に座る元総理の遺族としての昭恵夫人は、昨日の病院到着の場面ほどの緊張感がなくなっているような雰囲気すら感じられました。肩の荷を下して何かほっとしておられるかの様な印象です。

 

 

2年間の「安倍元総理は総理辞任後も健在である、という大芝居につきあう役目」が昨日で漸く終わった、といったご心境でしょうか?

 

マスクまで黒できめているキシリア・ザビ風の高市早苗政調会長。

 

 

■本物の安倍総理が実は2年前に亡くなり、葬儀はカモフラージュされて執り行われている?

下の写真は2020年10月17日に都内のグランドプリンスホテル新高輪で「中曽根康弘元首相」の「自民・内閣合同葬」として行われた告別式のときの儀仗兵の列です。

 

自衛隊の儀仗兵(陸上自衛隊の第302保安警務中隊)ですが、本来ならば、「天皇の葬礼」を行うのが儀仗兵で、大勲位とはいえ、民間人の告別式のためにこのように整列して見送ることは法律上ないそうです。

 

直前に政府の岸防衛大臣が防衛省令を改正して儀仗兵をこの中曽根康弘元総理の葬礼だけ、特別に整列させ棺を警護させられるよう改めるという、不思議なことを行っています。(2020年10月14日の官報に残っているようです)

 

この葬儀は実は非常に高位の4人の方々の「合同葬」だったといわれています。

 

菅首相(当時)が葬儀委員長を務め、三権の長が弔辞を述べ、天皇皇后両陛下から花が送られ、秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さま、常陸宮さま、三笠宮寛仁親王后信子さま、高円宮憲仁親王后久子さま、継子さまなど計8名の成人皇族方がご臨席になられ、(常陸宮華子さま、ご高齢の三笠宮百合子さま、彬子さま、瑶子さまはご欠席)、天皇皇后ご夫妻と、上皇上皇后ご夫妻の「お遣い」の方それぞれ一名がご出席で、それぞれ一人ずつ献花なさっておられます。参列者の数はコロナの影響で人数を抑え、自民党の国会議員と、野党の代表者各1名ずつが参列し、合計644名だったそうです。

 

つまり、最高格式といっていい告別式だったようです。

 

 

 

この「合同葬」で見送られたのは実はまず、実際には2019年11月ではなく、2016年9月2日に98歳で亡くなった中曽根康弘元総理(2度目の葬儀なのですが、1回目の葬儀に関するニュース記事はその後ネットから全て削除されています)と共に2020年の9月に亡くなった安倍晋三元総理だったという噂があるようです。

 

 

そして、「陰謀論」めいた話になりますが、この告別式の真の主役といえる方々が更にいたとされており、この方々に関してはここでは伏せます。

 

 

「儀仗兵の整列で見送った葬儀であったこと」、8名の皇族が臨席し、特にご高齢で車椅子の常陸宮さまが臨席なさっていること、「グランドプリンスホテル新高輪、国際館・パミール」という場所などから、何が浮かび上がってくるでしょうか。

 

祭壇に並べられた勲章は大勲位菊花大綬章と大勲位菊花頸飾などの頸飾4組を含む合計19個。

大勲位菊花大綬章は原則として一人一つしか授与されず、民間人だと「死後」に授与されます。(佐藤栄作元総理、吉田茂元首相など)従一位の授与は戦後は民間人では吉田、佐藤、中曽根、安倍の4名のみ。

 

中曾根康弘元総理は総理の座を禅譲してもらった竹下登首相(当時)の働きかけで、例外的に生前に授与されたので「大勲位」と呼ばれておられました。

 

今度の戦後二人目、吉田茂首相以来55年振りとなる「国葬」では果たして儀仗兵が並ぶのでしょうか?どなたとどなたの合同葬となるのでしょうか?

 

 

参考: 現在、要人の影武者は、世界各国に次々と立てられているようです。代表的なのが現在の米国大統領(仮)のあの方だし、英国の「あのお方」なども既に亡くなっておられるとか・・

 

 

 

追記

中曽根康弘元総理が亡くなったのは、現在ネットで多くみられるような2019年11月17日に101歳で死亡なさったのでなく、2016年9月2日に地元群馬県の群大病院で98歳で心不全で死亡し、息子さんである中曽根弘文氏が喪主となって葬儀が行われています。2016年9月2日のライブドアニュースなどで報じられています。

 

総理経験者に生涯つくSPが、中曾根元総理が亡くなられる直前の2016年8月28日で警護対象外となってはずれています。恐らくその直前に体調を崩され入院なさって、昏睡状態に陥りそのまま死亡したためと解釈するのが妥当でしょう?「死亡したからこそ警護の対象外になった」という説明以外には四角四面のお役所が例外をつくるはずがありません。暴漢に襲われて暗殺でもされでもしたら(今回まさにそのケースのはずですが、その割に・・)重大な責任問題となるわけですから。

 

当時の地元などの新聞が残っていればわかりますが、ネットでは2020年の10月までに全て削除されてしまっています。某国のようなもの凄い情報統制ですが、自分のブログに2016年のニュース記事を貼っているブロガーの方々や自分の記憶力に確固たる自信のある方々もけっこういて、この虚構について指摘なさっています。

「二度目の死」は2019年11月29日に東京都内の病院で101歳で死亡したことになっており、では2016年9月から2019年11月まで3年間「ゾンビ」として生きていたんでしょうかね、という非常に国民をこばかにした話なのです。

 

人の古い記憶というのは新しい情報によって書き換えが可能であるということを利用したものです。新聞やTVで目にする情報に嘘はないと信じて疑わない人々の多い日本国民だと、簡単に「あれっ、自分の記憶の方が間違ってたのか」と思うパターンだったようです。

大勲位菊花大綬章勲章、大勲位菊花章頸飾などの頸飾が4組があったということなどから、「最低4人の方々の告別式であった」と考えてよさそうなのですが・・・その中に2020年9月16日の総理辞任直後に亡くなったとされる安倍晋三元総理も実は含まれていたといわれていますが、果たして真実は何処にあるのでしょうか。

 

 

おまけ

7月8日の銃撃事件後、安倍昭恵夫人が8月1日に、安倍家の地元である山口入りし、長門市にある安倍家の墓参りをなさったのだそうです。墓前で数秒間手を合わせておられる姿が全てを物語っているように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

参考: