5月3日(土)随心院訪問記の続きです。

 

 

小野梅園は休園中。

 

 

ウメの代わりにツツジが咲いていました。

 

 

薬医門の前で右折。小町こまち化粧けわいの井戸に向かいます。

 

 

意外に寂れた所だなと思いましたが、宮中を辞した小野小町が邸宅を構えて隠棲した場所という説明に納得。

 

 

この井戸は小町が化粧をする際に使用したと伝わるものです。

 

 

清龍権現せいりゅうごんげん社への道を歩きました。

 

 

地元の人が奉納した歌碑がずらりと並んでいます。

 

 

清龍権現社は、京都の神護寺から勧請されたもの。

 

 

空海が中国・青龍寺せいりゅうじで修業した際に感得した善如竜王ぜんにょりゅうおうが、鎮守として祀られています。

 

 

清龍権現社の両脇にある狛犬も魔除けの役割を果たしているものと思われますが…。

 

 

土地の守護をより強固なものにしているのでしょう。

 

 

来た道を戻り、竹藪を右手に小町文塚ふみづかに向かいます。

 

 

小町文塚は、多くの貴公子から小町に贈られた千通の恋文を埋めたと伝わる五輪塔。

 

 

小町は貴公子たちの期待に応えられないことを罪に感じ、恋文を供養する事により罪障消滅を願うと共に、貴公子たちの菩提を弔ったと云われています。

 

 

小町文塚の北側に、仁海にんがい僧正の供養塔がありました。供養塔は、平成17(2005)年に生誕1050年の記念行事が行われた際、建立されたものだそう。

 

 

仁海僧正(951~1046)は随心院の前身、牛皮曼荼羅寺を創建した人物です。「請雨しょうきょう法」を9回成功させたことから「雨僧正あめそうじょう」とも呼ばれました。

 

 

それから、深草少将の百夜通ももよがよいの時に小町が榧の実で数を紡ぎ、後に里に撒いて今に残るというかやの木が、供養塔の後ろにあります。

 

 

長屋門前に「大乗院」という塔頭があり、立ち寄りました。

 

 

小ぢんまりとした本堂。宝暦3(1753)年、二条家により移築されたそう。

 

 

真言宗の僧侶を養成する所なのでしょうか。修行大師の像があります。

 

 

延命地蔵尊の前で合掌。他に見るものもなく退散。

 

 

参道を歩き、随心院を出ました。

 

 

おわり