7月16日(木)山鉾巡りの続きです。

 

四条通烏丸西入に函谷鉾かんこほこがありました。

 

 

鉾の名は中国戦国時代(前403~221)せいの国の孟嘗君もうしょうくんが鶏の声によって函谷関かんこくかんを脱出できたという故事にちなんで付けられているとの事。

 

 

鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木しんぎのなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえています。

 

 

鉾の装飾を見たかったのですが、人が多すぎて近寄れず、ものの数分で退散。

 

 

室町通四条下ルに鶏鉾にわとりほこがありました。

 

 

鉾名は中国の史話より取材。昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓かんこ)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものと言われています。

 

 

鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、鶏鉾の名の象徴となっているとも言われていますが、はっきりしたことは不明。真木のなかほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀っています。

 

 

綾小路室町西入に綾傘鉾あやかさほこがありました。綴錦つづれにしきは「飛天の図」。山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つと言われています。

 

 

早くも提灯の灯りが点いていました。

 

 

会所に入りました。

 

 

中にあるのは大原神社。仏様にカメラを向けてしまいましたが、撮影禁止のマークはなかったのでいいのでしょう。

 

 

綾小路通新町西入に伯牙山はくがやまがありました。

 

 

山の御神体は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期しょうしきとの物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしています。

 

 

山鉾の装飾はどれも似たり寄ったり。さすがに12基も見ると飽きてきます。

 

 

新町通綾小路下ルに船鉾ふねほこがありました。

 

 

神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にしたと言われています。

 

 

船頭には金色のげき、船尾には黒漆塗くろうるしぬり螺鈿らでん飛龍ひりゅう文様もんようかじをつけ、

 

 

船端には朱漆塗の高欄こうらんをめぐらし、唐破風からはふ入母屋いりもや造りの屋根からは紅白の長旒ちょうりゅう吹流ふきながしをひるがえしています。

 

 

鉾の上には皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像を安置。主神神功皇后は神面をつけ緋縅ひおどしの軍装、その後に鹿島明神、舳先には、海神安曇磯良あづみのいそらが龍宮の満干珠まんかんじゅを住吉明神に捧げています。

 

 

船鉾も500円払えば搭乗できるらしく、長江家住宅の2階に行列ができていました。今度来た時は登ってみようと思います。

 

 

絶対に見ると決めていた山鉾群はこれで終わり。予定より早く回れたので、コンプリートすることにしました。

 

 

新町通仏光寺下ルにある岩戸山いわとやま

 

 

天岩戸あまのいわとを開いて天照大神の出現される日本神話から取材した曳山で、鉾柱のかわりに屋上に真松しんまつを立てています。

 

 

三体の御神体を飾っていますが、天照大神あまてらすおおみかみは白衣姿で胸に鏡をかけ、脇に安置される手力雄尊たぢからおのみこと戸隠とがくし大明神)は白衣に唐冠とうかんをかむり、屋根の上には太刀をはき天瓊矛あめのぬぼこをつき出した伊弉諾尊いざなぎのみことを安置しています。

 

 

会所に入りました。

 

 

華やかな懸装品。人間界なのか天界なのか、よく分からない不思議な絵が描かれています。

 

 

櫓組やぐらぐみは、懸装品をつける前の姿。釘は一切使わず、櫓の土台に当たる部分を縄で固定し、接合部を縄で巻いて仕上げているのが分かります。

 

 

おそらく岩戸山を題材にした能。

 

 

回教のモスクや孔雀が描かれたタペストリー。

 

 

岩戸山のミニチュア。山鉾巡行の様子を再現しています。

 

 

会所に滞在したのは5分程度だったのに、会所を出た時には雨がパラついていました。

 

 

不思議だったのが、白楽天山はくらくてんやま(室町通綾小路下ル)に着いた時には止んでいたこと。こんなに短い雨も初めてです。

 

 

山の上に松があるのみ。

 

 

御神体は会所にありました。

 

 

白楽天山は、唐の詩人白楽天が道林どうりん禅師に仏法の大意を問うところを表しています。

 

 

次に向かう先は保昌山ほうしょうやま。この山だけぽつんと離れた所(東洞院通松原上ル)にありますが、土地勘のない私でも迷わずに行けるでしょうか?

 

 

つづく