5月5日(日)西宮神社散策の続きです。
神楽社の脇に鯉のぼり。そよそよと優雅に泳いでいます。
豊受比女神を祀る神明神社。
社殿は明治6年(1873)、元大坂奉行所西宮勤番所敷地内から移転し、稲荷神を合祀したとの事。今では「お稲荷さん」として多くの信仰を集めています。
稲荷神社なので、社殿の前に阿吽の狐像がありました。
神明神社にというより、本殿が近いことから西宮神社に奉納された絵馬。
恵比須や鯛の絵馬がほとんどで、西宮神社が地元では「西宮えびす」として親しまれている事が分かります。
そして、寛永3年(1626)に当地の酒造家仲一同によって建てられた松尾神社。お酒の神(大山咋神)、海上安全船玉の神(住吉三前大神)、また道案内の神様と信仰されている(猿田彦命)の三柱の神様を祀っています。
おかめ茶屋は閉店中。
嘉永橋を渡って神池のほとりを歩きました。
厳島に鎮座される市杵島の神様を祀っている市杵島神社。貞享3年(1686)に画かれた絵図には弁財天と記されているとか。
こちらの石碑は、元禄9年(1696)11月に神池の石垣が寄進されたのを記念に彫られたもの。池畔に散在してあった2つの碑を平成14年(2002)8月に基壇を設けて並べたそう。
ここでようやくお目当てのカキツバタにありつけました。
水際にびっしり並ぶカキツバタ。五月晴れの空によく映えます。
小さな花なので近くで見た方が綺麗。
次は燈籠の背景として撮影。
祈祷殿に続きます。
足を進めて振り返り。遠くに非公開の六英堂が見えました。
先ほど説明した嘉永橋→石碑→市杵島神社の位置関係はこのとおりです。
神池は生き物の宝庫。鯉と水鳥がお互いの様子を気にすることなく泳いでいました。
祈祷殿は遠巻きに見て終わり。
前方に縁起物の鯛。
そして瑞宝橋。白鷹酒造の初代辰馬悦蔵氏により明治40年(1907)に奉納された太鼓橋で、六甲山産の花崗岩で造られたそう。
この辺りは日当りが悪いのか、カキツバタの咲きっぷりがもうひとつでした。
盛り土の上に伊勢神宮の遥拝所。毎年10月17日に伊勢祭があり、ここから伊勢神宮に向かって拝みます。
宇賀魂神社は、全ての生き物の成育を司る神様(宇賀御魂命)を祀る神社で、文明年間以前から祀られていたそう。
古めかしい方位盤。東西南北はそれぞれ卯・酉・午・子の方角になります。
方位盤によると、最初に歩いたのが東の島。今歩いているのが西の島だと分かりました。
隣にエサをやる人がいて、鯉がどっと集まります。
嘉永橋を渡り、藤棚の横を歩きました。
池のほとりにカキツバタ。
今年のカキツバタもこれで見納めです。
閉門30分前になり、神池も空いてきました。
神池出た所にある銅鐘。網がかかっていて見づらいのですが…。
解説文によると、この鐘は、慶長14年(1609)豊臣秀頼公の発願により、片桐且元が奉行となって社殿を再興。その翌年(1610)、西宮大神のご神前に寄与されたものだそう。
ショーケースに弁財船の模型。
鯛の模型。地元の人が奉納したよう。
お酒の製造に使われる井戸。
『「伊丹諸白」と「灘の生一本」ー下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷ー』が日本遺産に認定されています。
これらは全て、灘五郷(今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷)の酒造メーカーが、正月に奉納したお酒です。
神社にお酒を奉納することは日本の伝統的な習慣で、この儀式は、農耕民族であった日本人が、前年の米の収穫への感謝と新しい年の豊作を願い、収穫した米で作ったお酒を神社に奉納することから始まったと言われています。
酒樽にそれぞれラベルがあり、阪神タイガースの熨斗をつけたお酒は、白鷹が奉納したものだと分かります。
このように気持ちを込めてお酒を奉納することで、新年を祝福し、無事を祈願することができるのです。
酒の展示コーナーを通り抜け、西宮神社を出ました。
全長247mの練塀は、平均長さ約4m単位の築地63ヶ堀を連ねたもの。建立の年代は室町時代初期頃。現存最古の築地塀で、重要文化財に指定されています。
西宮神社に売店がなかったので、代わりに阪神西宮駅直結の百貨店でお土産を探しました。
即決で買ったのが、清閑院の花菖蒲。わらび餅をぶどうの味の羊羹で包んだ、この時期らしい和菓子です。
バラ売りは迷った時に助かりますね。追加で茶みどりしぐれと茶々みどりを購入。特に茶みどりしぐれは洋菓子風で好評でした。
おわり