5月5日(日)西宮散策の続きです。

 

御前浜公園から約20分。西宮神社に到着。

 

 

慶長9年(1604)豊臣秀頼公の寄進によると伝わる表大門おもてだいもん。単層切妻造木瓦葺四脚門雄大な木割から桃山期の豪壮な時代精神が窺える建造物として大正15年(1926)国宝に指定され、昭和25年(1950)重要文化財に指定されました。

 

 

毎年1月10日午前6時に開門。神事が斎行され福男が選ばれます。

 

 

表大門の脇に梅宮うめのみや神社。祭神の酒解神さかとけのかみは娘・木花咲耶姫このはなさくやびめの安産を祝って初めて酒を醸したことから酒造の祖神・安産の神様として信仰されています。

 

 

近くに絵馬掛けがあり、安産祈願の絵馬が強調されていました。

 

 

廣田神社の摂社で「浜南宮」とも称された南宮なんぐう神社。祭神は豊玉姫神、市杵島姫神、大山咋神おおやまいくのかみ、葉山姫神。平安時代には都の貴族が参詣し、『梁塵秘抄りょうじんひしょう』には「濱の南宮は、如意や寶珠の玉を持ち」と歌われています。

 

 

そして南宮神社の末社「兒社このやしろ」。南宮の若宮として祀られたと言われていて、『梁塵秘抄』には「南宮のお前に朝日さし、兒のお前に夕日さし、松原如来のお前には、官位昇進つかさまさりの重波ぞ立つ」と歌われています。

 

 

「扇にて 酒くむかげや ちる桜」と刻まれた芭蕉の句碑。「桜花爛漫の花の木陰で浪漫的な情緒に浸っていると、いつのまにか能楽の作中人物と化した気分になり、ふと、扇で酒を汲む所作を真似てみる。そんな自分の上に桜がはらはらと散りかかる。」という意味だそう。

 

 

また、芭蕉の句「者流はるもや、ととのふ 月と梅」の訳文は「長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。これで早春の役者は十分に揃ったのである。」で、鬼貫おにつらの句「よつほ里と 秋農あきの空なる 富士の山」は「にょっぽりとそびえ立って、秋の空に溶け込んでいる富士山だなあ。」と訳されています。

 

 

現在は使われていない沖恵美酒おきのえびす神社の手水。

 

 

入口に阿吽の狛獅子。

 

 

いかつい表情をしています。

 

 

祭神の沖恵美酒大神おおかみは、「あらえびすさま」と崇められ室町時代の文書にたびたび西宮荒夷社鳴動と記されている霊験あらたかな神様。もと荒戎町に鎮座されていたのを明治5年(1872)ここに移されました。

 

 

えびすさまの力強い御魂をおまつりするあらえびす神社(沖恵美酒神社)の祭典に合わせて、毎年7月10日に奉納子ども相撲大会を開催しています。

 

 

相撲大会まで2ヶ月以上あるのに、早くも必勝を祈願する絵馬が奉納されていました。

 

 

「人間は なぜにうつむく 空無限」は、川柳社の会長で西宮市在住、小松原爽介そうすけ(1923~2019)氏の句で、「人間はいろんな場面において、悩んだり落ち込んだりします。そんなときでさえ空は無限に広がっていて、雄大さを感じます。」という意味だそう。

 

 

西宮市吹奏楽連盟などが建立した関西吹奏楽功労者の碑。「もっと吹け もっと奏でよ もっと楽しめ」と、関西音楽界の第一人者で大阪フィルハーモニー交響楽団の創始者、朝比奈隆(1908~2001)氏の名言が刻まれています。

 

 

表大門から本殿までの道のりはわずか230m。

 

 

十日戎の日はこの道を「走り参り」をし、本殿へ早く到着した順に1番から3番までがその年の「福男」に認定されます。

 

 

平成31年(2019)2月に植えられた鳴尾なるおの黒松。白砂青松の鳴尾に上がられたえべっさんが祀られている西宮神社に、鳴尾の黒松の遺伝子を持つ松の苗が戻ってきたことから「千歳ちとせの再会」と名付けられています。

 

 

六英堂は東京丸の内にあった岩倉具視公の私邸の一部で、明治新政府の主要な人物、岩倉具視、三条実美、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文の6人(六英傑)が度々会合を重ねたことからその名が付けられました。何度か移転されたのち、昭和52年(1977)西宮神社に移築保存されたそうです。

 

 

鳥居をくぐりました。

 

 

左手に神馬しんめ。昔十日戎の前夜にえびす様が市中を乗馬で巡回されるという伝承があり、その神馬の名残を伝えているのがこの姿です。

 

 

手水舎でお清め。

 

 

奥津彦神おくつひこがみ奥津比女神おくつひめがみを祀る庭津火にわつび神社。社殿がなく塚の形をした封土を拝する古い姿を残した神社で、この神域内守護の神様をお祀りし、荒神様として信仰されているそう。

 

 

祓所はらえしょは、お祭りの前にお祓いの神事を行う場所。毎年春分秋分の日に皇居におしずまりになる皇霊殿を逢拝するほか、遠方の神々を逢拝します。

 

 

社務所でえびす信仰に関する資料の展示が行われていたようですが、今回はスルー。

 

 

本殿は工事中。

 

 

火産霊ほむすび神社の祭神は火皇産霊神ほむすびのかみです。火ぶせの神様として信仰される愛宕あたごの神様で、貞享3年(1686)に画かれた絵図にも火之大神と記されています。

 

 

百太夫ひゃくだゆう神社の祭神は百太夫神ひゃくだゆうのかみです。西宮の「えびすかき」として有名な人形操りの祖神で、お参りすると習い事、諸芸上達の御利益があります。

 

 

祠の裏に芸能上達扇子奉納所があり、たくさんの扇子が奉納されていました。

 

 

六甲山頂に鎮座する奥宮「石宝殿」の方向に向かって建てられている六甲山ろっこうざん神社。祭神の菊理姫命くくりひめのみことは、白山権現とも言われる山を守護する神様とされています。

 

 

往古国土の経営に尽くされた二柱の神様、大己貴命おおなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみことを祀る大国主西おおくにぬしにし神社。平安時代に架かれた延喜式の神名帳にも載せられている由緒深い社です。

 

 

仮本殿は神楽社の前にありました。

 

 

第一殿の祭神は「えびす様」として親しまれている西宮大神。第ニ殿には天照大神と大国主大神が、第三殿には須佐之男大神が祀られています。

 

 

えびす様の総本社である西宮神社は西宮のほぼ中央に鎮座し、平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ、皇族神祇伯の参拝が著しく社勢が極めて盛大でした。

 

 

特に中世以降福の神と崇める信仰が盛んとなり、傀儡師の活動や謡曲や狂言を通じていよいよ御神徳が広まっていきました。

 

 

とりわけ徳川時代以降商業の発展に伴い、海上守護神商売繁盛の神としてあまねく御神徳が発揚し、今日では全国津々浦々にわたって多くの人々の崇敬を受けています。

 

 

つづく