4月30日(火)王子動物園訪問記最終回。

 

動物科学資料館で干支展を見た後は、旧ハンター住宅へ。

 

 

たまたま内部公開の日で、玄関の戸が開いていました。

 

 

玄関入った所にエドワード・ハズレット・ハンター(1843~1917)の銅像があります。一体どんな人物だったのでしょう?ちょっと調べてみました。

 

 

  E.H.ハンターとその家族

 

E.H.ハンターは、1843年アイルランド北部のロンドンデリーに生まれました。慶応3年(1867)に来日して横浜で貿易事業に携わり、明治7年(1874)に神戸外国人居留地でハンター商会を創設しています。

 

 

明治14年(1881)に大阪安治川の畔に大阪鉄工所(現日立造船)を創設。鉄鋼と造船の他にも、煉瓦や肥料、たばこ、精米、損害保険など様々な事業を起こし、藩多財閥を創立しました。

 

 

また、大変な親日家で大阪薬種問屋出の平野愛子を妻に迎えています。

 

 

  旧ハンター住宅の変遷

 

E.H.ハンターは現在の神戸外国倶楽部の敷地付近にあった建物を、明治40年(1907)頃に買い取り、北野町3丁目にある広大な高台に自宅として改築しました。この高台へつながる坂が「ハンター坂」と呼ばれ、今もその名が残っています。

 

 

E.H.ハンターは事業で成功をおさめ、日本でも十指にはいるぐらいの金持ちになりましたが、大正6年(1917)に74歳の生涯を終えるまでこの邸宅に住み、故国から取り寄せた家具調度に囲まれ、平穏な日々を送りました。

 

 

E.H.ハンターの死後、所有者は転々とし、昭和35年(1960)には料理旅館の藤月荘として取り壊しの危機が訪れましたが、兵庫県が買い取り、昭和38年(1963)には王子動物園内に移築され、以後保存されています。

 

 

旧ハンター住宅は、昭和41年(1966)6月11日、重要文化財に指定されました。

 

 

さらに、平成22年(2010)3月には、「ひょうごの近代住宅100選」に選ばれています。

 

 

また、この旧ハンター住宅で、三浦春馬(1990~2020)主演の映画『天外者てんがらもん(2020)』の撮影が行われたらしく、そのポスターの展示がありました。

 


  旧ハンター住宅見学

 

こちらが旧ハンター住宅の間取りです。

 

 

 

 

それでは、1階から見ていきましょう。

 

玄関から廊下をまっすぐ歩いて食堂へ。

 

 

ピアノとマントルピースがあることから、空いたスペースでさまざまなレクリエーションが行われたものと思われます。

 

 

ベランダの窓がお洒落。

 

 

お庭は桜の時期が良さそう。

 

 

次は応接室。

 

 

E.H.ハンターの長女(範多ふじ)の婚礼写真がありました。富裕層らしく、とても盛大な結婚式をあげたようです。

 

 

応接室の隅に新しそうなピアノ。おそらくE.H.ハンターの奥さんや長女が嗜んでいたものでしょう。

 

 

また、隣のパネルには、次男のハンス・ハンター(1884~1947、日本名:範多範三郎)は大正15年(1926)から昭和15年(1940)まで、ラトビアの名誉総領事を務めた事などが書かれていました。

 

 

書斎は非公開。2階に上がります。

 

 

踊り場の窓にはめられた英国製のステンドグラスが綺麗。

 

 

私の固定観念からして、居間が2階にあるのは違和感ありますが…。

 

 

2階は身内や特別に親しい人と過ごすプライベートな空間だったのでしょう。

 

 

広々としたベランダ。

 

 

ベランダからの景色は、観覧車の上部が見えるだけで、見晴らしはもうひとつでした。

 

 

寝室は3つ。旧ハンター住宅はE.H.ハンターが奥さんと晩年を過ごした場所なので、残り1室は客を泊めるための部屋と思われます。

 

 

当時の面影は全くなく、北野町山本通重要伝統的建造物群保存地区としての活動や近隣の異人館を紹介するパネルがありました。

 

 

3つ目の寝室は外から見て終わり。

 

 

このとおり、旧ハンター住宅は王子動物園の一部なので、展示そのものは大した事ありません。

 

 

この後、相楽園へ行く予定でしたが、このしぼんだツツジを見て断念。

 

 

動物を見るのも面倒で、早々に散策を切り上げました。



おわり