4月30日(火)王子動物園。

 

タンタンに献花した後は、動物科学資料館で「干支展 辰~龍とむかしばなしの動物たち~」を見ました。

 

 

  伝説の動物は存在した?

 

龍は何に似ているの?

 

東洋における龍のイメージは、中国の漢の時代に固められました。

 

 

頭が駱駝らくだ、角が鹿、耳が牛、うなじが蛇、うろこが魚、腹がしん(蛇に似た四足がある想像の動物)、てのひらが虎、爪が鷲、目が鬼(一説に兎)とされています。

 

 

このように動物の優れた部分を取り込まれた龍の姿は、ますます神格化して伝えられました。

 

 

タツノオトシゴ

 

ヨウジウオ目ヨウジウオ科。"龍の落とし子"との名のとおり、昔の人が想像した龍の姿によく似ているとされる魚。

 

 

雄の腹部にある育児のうに雌が卵を産み付け、その後、孵化ふかした仔魚しぎょたちは、まるで雄が出産するかのように、そのお腹から飛び出してきます。

 

 

  十二支と辰の起源

 

干支とは

 

干支は古代中国に始まり東アジアを中心に使われていた暦です。

 

 

干支の「干」は、十干じっかんといって物事を占ったり数えたりする「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」という10の文字で表されます。

 

 

「支」は十二支じゅうにしといって植物の成長の段階を示す「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」という12の文字で表されます。

 

 

なお、十二支の順番は、元旦に行われたレースで神様のもとに早く着いた順とされています。

 

 

十干、十二支によって、年月や日にちだけでなく時刻や方角も定められました。

 

 

日本では明治6年(1873)から現在の暦に変わりましたが、今でも十二支は生まれ年を表すために使われています。

 

 

龍の起源

 

龍の図や記述が見られるようになったのは、今から数千年前、農耕が始まり四大文明が起こった頃です。

 

 

四大文明が起こった地域は、赤道からの距離(北緯)がほぼ等しく気候が温暖で、大河の水に恵まれていました。水は農耕に欠かせませんが、時に大河が溢れ人々の命を脅かすこともありました。

 

 

こうした中で人々は、雨風や雲を操る龍という動物の姿を思い描きました。

 

 

四大文明のうち、メソポタミア(今のイラク辺り)では、龍は洪水を起こす退治すべき「悪しきもの(魔物まもの)」とされ、その考えは後の西洋に伝わりました。

 

 

また、中国では豊かな実りをもたらす「善きもの(神獣しんじゅう)」としてアジアに伝わりました。

 

 

  龍に関連する話

 

龍舞

 

龍舞りゅうまいは中国をはじめ、世界各地の中華街でも春節などの節句で見ることができます。

 

 

今から2000年以上前の前漢ぜんかんの時代に書かれた「春秋繁露はんろ」では、雨乞いのために行われたと記されています。

 

 

一説には、雨風や雲の化身である龍が、太陽を追い天に舞う姿を表していると言われています。

 

 

龍神と熊猫(パンダ)

 

太古、パンダは龍神に仕え、ともに空を飛び世の魔物や妖怪を追い払っていました。あるとき龍神は、地上に異変が起こり、肉を食べる動物は絶滅することを予言し、パンダに草木を食べることを勧めます。

 

 

まもなく地上は大災害に見舞われましたが、パンダは年中食べられる竹に辿り着きました。パンダ以外の太古の動物たちは死に絶え、パンダは今の動物たちの世で「珍獣」と言われています。

 

 

パンダが他の肉食動物との争いに負けて竹を食べるようになった話は聞いた事はありますが、龍神の指示を受けたとは初耳でした。



今日はここまで。次に続きます。