4月6日(土)清凉寺。
仁王門に阿吽の金剛力士像。室町後期に作られたそう。
仁王門入った所の桜が満開。
若い桜は白っぽく、黒い仁王門に映えました。
火除けの神を祀る愛宕権現社。
弘法大師が南都八宗の学僧を論破したという言い伝えのある八宗論池。
その東にある石仏。空也上人(903~972)の作と言われ、背面に多宝塔が刻まれています。
枝垂れ桜も満開。観光客が少なく、一本の木を独占しました。
お釈迦様が説いた一切の経典が収められた経蔵。
輪蔵正面に善慧大士座像、両脇に普浄・普現像、四隅に四天王像が祀られています。
輪蔵に唐紙製の明板本5,408巻の大部が収められていて、法輪を一回転すれば一切経を読んだという功徳が得られるそう。実際回している人がいましたが、重たそうでした。
浄土宗の開祖、法然上人(1133~1212)の像。
この辺りの桜も綺麗です。
奥に聖徳太子殿。
元の場所に戻りました。
京都府指定文化財、多宝塔。
その背後に嵯峨天皇の第12皇子で、光源氏のモデルとされる源融(822~895)の墓があります。
その隣に嵯峨天皇(786~823)と檀林皇后(786~850)の宝塔。
その隣に開山奝然上人(938~1016)の墓。上人の没後に清凉寺が完成し、釈迦如来立像が安置された事にちなみ、清涼寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれるようになりました。
枝垂れ桜がいっぱい。春爛漫の景色です。
枝ぶりが良く、地面すれすれまで花でした。
文明16年(1484)11月吉日の日付と、寄進者の中に、足利義政・日野富子・征夷大将軍義尚及び堺の商人の銘がある事で有名な梵鐘。京都府指定の文化財です。
鐘楼の近くにまだら模様の椿。この椿に気をとられ、梵鐘を間近に見そびれました。
境内西端に狂言堂。円覚上人(1223~1311)が庶民に教養を説くために作られたと言われ、毎年4月の大念仏会に、嵯峨大念佛狂言が演じられます。
その向かいに薬師寺。
その隣に豊臣秀頼(1593~1615)の首塚。昭和55年(1980)大阪城三の丸跡地の発掘現場から出土した首を、秀頼再興の由緒をもつこの寺に納めたそう。
また、清凉寺の墓地には、大阪夏冬の陣の名将・渡辺一族の墓があり、首塚の隣にその供養碑があります。
垣根の向こうに真っ赤な椿。
地面に散った椿が、秀頼が死に際に流した血に見え、何とも言えない気分になりました。
つづく