8月11日(金)午後、王子動物園内動物科学資料館。天津・神戸 友好都市50周年特別展を見に行きました。

 

 

備忘録です。以下の文章は、展示パネルから引用しました。 

 

 

  日中国交正常化とジャイアントパンダ

 

昭和47年(1972)9月29日、戦後途絶えていた日本と中国の国交が正常化され、10月28日、北京動物園から2頭のジャイアントパンダが来日しました。

 

 

2頭の名は「新興(シンシン)雄2歳」と「二興(アルシン)雌3歳」。シンシンは鞠遊びが好きでやんちゃな性格。アルシン内気でおとなしい性格だったそう。

 

 

11月5日から一般公開を開始。日本名でそれぞれ「康康(カンカン)」「蘭蘭(ランラン)」と呼ばれ、たちまち人気者に。2頭がいる上野動物園には、日本中から毎日パンダのファンがたくさん集まりました。

 

 

パンダブームに沸いた日本ですが、当然生き物には寿命があります。昭和54年(1979)9月4日にランランが11歳で死亡し、昭和55年(1980)6月30日にカンカンも9歳で死亡しました。

 

 

  神戸と天津

 

昭和48年(1973)6月24日、神戸市と天津市は友好都市になり、今年で50周年を迎えます。

 

 

天津は中国4大都市の一つで、面積は約11,000㎢、人口は約1,386.6万人の大都市です。展示室には、天津市を紹介するビデオコーナーがありました。

 

 

天津の三大名物は、豚まん・マーファー・ア―ドゥオヤーン。天津飯や天津甘栗は日本の食べ物で、天津にそのようなメニューはないそうです。

 

 

こちらは動物交流などのために王子動物園を訪れた、天津市をはじめとする中国の関係者が書いたサイン帳。

 

 

それから、平成3年(1991)3月21日、王子動物園開園40周年を祝い、天津市から贈られた書画がありました。

 

 

  神戸ポートアイランド博覧会「ポートピア'81」

 

ポートピア'81は、神戸港沖に造成された人工島ポートアイランドの完成を機に開催された博覧会です。

 

 

開催期間は、昭和56年(1981)3月20日~9月15日。この時、天津動物園よりジャイアントパンダ2頭「蓉蓉(ロンロン)」と「寨寨(サイサイ)」が貸し出され、大変な人気を呼びました。

 

 

王子動物園では、事前に担当飼育員らが天津動物園での実習に挑み、開催期間中も日本初の日中共同飼育に取り組むなど、万全の飼育体制を整えたそう。

 

 

ポートピア'81には、のべ1,610万人が来場し、パンダ館だけで1,000万人が来館。この熱狂は、1980年代後半の地方博ブームの火付け役となりました。

 

 

私もポートピア'81に行ったのは覚えていますが、パンダを見た記憶はありません。まだ幼かったので、待ち時間が発生しない所だけをまわったのでしょう。

 

 

他、このコーナーで見た資料です。

 

ロンロン(雌16歳)

 

 

タケノコを食べるロンロン

 

 

タイヤで遊ぶロンロン

 

 

サイサイ(雄5歳)

 

 

竹を食べるサイサイ

 

 

タイヤで遊ぶサイサイ

 

 

まどろむサイサイ

 

 

竹を取り合うロンロンとサイサイ。当時は親子でもない2頭が同じ部屋にいたんですね。おまけに期間限定の貸出。

 

 

こんなに早く新しい環境に順応できたのは、博覧会の前年に、王子動物園から天津動物園にボールを届けたためだったとか。

 

 

2頭はボールでよく遊び、よくなじんだボールとともに、ポートピア'81会場にやってきたのです。

 

 

パンダ館に置かれていた記念スタンプ2種。

 

 

スタンプを押すにも人ざかり。その人気ぶりは『ポートピア'81 パンダ滞在記』にも詳しく紹介されています。

 

 

『パンダ滞在記』は、昭和57年(1982)10月に出版された図書。ポートピア'81で奮闘した記録から、日中共同飼育の様子、パンダの行動など、ジャイアントパンダ神戸滞在の一部始終が語られています。

 

 

そして、『神戸ポートアイランド博覧会写真集(1981)』は、256ページにおよぶポートピア'81の記録。「中国天津展覧館 TIANJIN PAVILION」のページには、ジャイアントパンダや工芸品、万里の長城などが紹介されています。

 

 

  KOBE グリーンエキスポ'85

 

この博覧会は、第1回「緑の都市賞」を受賞した神戸市が、昭和46年(1971)以来進めていた「グリーン作戦」の集大成として、(財)都市緑化基金とともに主催しました。

 

 

昭和60年(1985)7月20日~11月4日、総合運動公園にて開催。同時期に同公園で開催したユニバシアード神戸大会の文化行事の一環でもあり、全期間でのべ220万人の来場者を数えました。

 

 

目玉は「キンシコウ(金絲猴)」。当時、中国国外不出のサルであり、"孫悟空"のモデルともいわれるその姿を見せようと大勢の人が押しかけました。

 

 

「チンチン(金金)雄4歳」と「フェイフェイ(菲菲)雌7歳」は仲睦まじく、愛嬌をふりまきました。これが、後のキンシコウ日中共同飼育研究に繋がっていったのです。

 

 

他、このコーナーで見た資料です。

 

王子動物園の機関誌『はばたき』によると、7月12日、2頭のキンシコウは天津動物園から大阪空港を経由して、金絲猴館に運ばれました。長旅にもかかわらず大変元気で、着くなり好物のモモやリンゴを3個も食べたそうです。

 

 

年齢からして2頭は兄弟と思っていましたが、夫婦だったとは意外でした。大きさからして、上の画像が雄のチンチンで下の画像が雌のフェイフェイでしょうか?

 

 

 

キンシコウはマスコットキャラクターになり、「きんちゃん」の愛称で親しまれました。

 

 

きんちゃんグッズの他、グリーンエキスポ'85をモチーフにしたグッズも販売されたそうです。

 

 

この様子だと、グリーンエキスポ'85は地元で盛り上がったのでしょうね。当時私は愛知県に住んでいて、博覧会があった事すら知りませんでした。

 

 

つづく