5月12日(金)先斗町歌舞練場訪問記の続きです。
右いす席を案内されました。舞台は斜めになりますが、花道も見えてなかなか良い席です。
祇園甲部歌舞練場に比べると、客席が少なく小ぢんまりとしていました。
空席が目立つのに右いす席を指定されたのは謎ですが、ネットで申し込んだからでしょう。
第1部は「春の風 恋のいたづら」。老獪な薬師の男が、中将と少将が都を留守にしている間に取り替えっこして、恋仲だった姉妹の姫君を試すという舞踊劇。時々笑いが渦巻く面白い劇でした。
芸妓さんの顔もしっかり見えて、正面席の後部より良かったかもしれません。
第2部は「寿百五十年先斗町 花の四季」。鴨川をどり創演150周年を祝う純舞踊。少人数の舞台で、一人一人の動きをしっかり見れました。
最後に芸妓さんが客席に投げた手ぬぐいをゲット!右いす席は3人だったので、とても良い確率です。
鴨川をどりオリジナルの手ぬぐい。多香さんのサイン入りでした。
多香さん、字の印象どおり若手の芸妓さんです。
始めから最後まで丁寧なおもてなしで、ディープな京都を楽しめました。
歌舞練場を出たのが午後1時45分頃。
早くも次の受付が始まっていました。
三条通のスタバは満席。店を出た所に、旧三条大橋の石柱があります。
石柱は天正17年(1589)7月、現在の神戸市東灘区から切り出された花崗岩。翌年正月、豊臣秀吉の命により、増田長盛によって三条大橋の改修に使われたそう。
高瀬川の流れを見ていると、神戸から舟で花崗岩が運搬された様子を想像できました。
昭和初期まで、高瀬川は物資の運搬に使われていたそうです。
三条小橋を渡りました。対向車線側に池田屋騒動の跡地があります。
池田屋騒動は、元治元年(1864)6月、池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃した事件。
三条大橋擬宝珠の刀傷といい、幕末の三条通は今では考えられないほど、不穏な空気が漂っていたことでしょう。
三条名店街を歩きました。
学生時代、お世話になった十字屋さんは健在。
続いて新京極を歩きました。
外国人観光客や修学旅行生がいない日常の京都。意外に静かです。
喫茶店を探していましたが、どこも満席で入れず。
そんなわけで喫茶店は諦め、きしめんの店に入りました。
暑かったのでざるきしめんをオーダー。しかし、出されたきしめんは生臭くてもうひとつでした。
新京極商店街も昨年で150周年を迎えたよう。
ときわビル口から階段を降り、京都河原町駅に向かいました。
おわり