午後2時半。六甲山サイレンスリゾートに入館。

 

 

エントランスに『六甲ミーツ・アート芸術散歩2020』公募大賞グランプリ受賞作《六甲景鏡けいきょう》がありました。六甲枝垂れに展示されていた5部作で、作者の上坂うえさかなお(1991~)氏が寄贈したものと思われます。

 

 

常設展示室では、六甲山サイレンスリゾートに関する資料を見ました。以下、展示物の内容です。本文は掲示パネルの解説を引用しました。

 

 

六甲山ホテルの始まり 

 

六甲山ホテルは、昭和4年(1929)に宝塚ホテルの分館として阪急グループの創始者、小林一三(1873~1957)氏の発案により、山岳リゾートホテルとして営業を開始しました。

 

 

建築は古塚ふるづか正治まさはる(1892~1976)氏による設計で、スイス・コッテージのような木骨様式です。

 

 

当時、六甲山は居留外国人たちによってレクリエーションの場として開発されており、今でも数多くの英語で書かれた資料が残っています。

 

 

当時は客室33室、7月~9月のみの営業でした。昭和5年(1930)には、六甲山上阪急食堂の営業を開始します。

 

 

六甲登山ロープウェイ開業 

 

昭和6年(1931)六甲登山ロープウェイ(六甲登山架空索道)が開業しました。山上駅は六甲山ホテルの正面に位置しており、登り口駅からは7分程度、料金は片道35銭/往復65銭でした。

 

 

ホテルは、ロープウェイ開通と同時に室料を大幅値下げし、シングル1泊4円~5円50銭、風呂付7円~8円50銭/ダブル1泊6円~8円50銭、風呂付10円50銭~13円でした。

 

 

新館の竣工と太平洋戦争勃発 

 

昭和9年(1934)には、新館が竣工しました。しかし、太平洋戦争勃発の人的物的資源の不足のため、昭和18年(1943)夏、全館休業することになります。

 

 

その後、阪急食堂の管理及び経営を六甲登山架空索道に委託し、翌年にはドイツ人倶楽部に賃貸し一般営業を休止、統制令強化の措置として一時廃業します。

 

 

終戦後ホテルを修繕し、昭和26年(1951)夏、一部営業を再開。昭和29年(1954)全館の営業を再開しました。

 

 

翌年、株式会社六甲山ホテルが、株式会社宝塚ホテル所有の六甲山ホテル他建物、諸施設を譲り受けます。その後、六甲山経営株式会社となり、ホテル業を含めた営業を行いました。

 

 

 

戦後の六甲 

 

昭和31年(1956)、六甲山は六甲山地区として瀬戸内国立公園へ編入。

 

 

同年、ジンギスカン料理の提供を開始します。阪急百貨店の清水まさし(1901~1994)社長が戦前に中国からジンギスカン用の鍋を持ち帰ったことがきっかけでした。

 

 

牛肉だけでなく、魚やエビも入れ、日本式ジンギスカン鍋が誕生。そして昭和37年(1962)、本館が竣工します。

 

 

六甲山サイレンスリゾートの誕生 

 

平成19年(2007)には経済産業省より旧館が近代化産業遺産に認定されましたが、平成27年(2015)、耐震性の問題により一度ピリオドを打ちます。

 

 

しかしながら、その場所を訪れる人々は後を絶たず、平成28年(2016)に八光カーグループがこの歴史を引き継ぎ、再構築するプロジェクトが開始しました。

 

 

そして令和元年(2019)夏、「旧館&グリルレストラン」をリニューアルし、六甲山サイレンスリゾートとして新たなスタートを切ったのです。

 

 

ミケーレ・デ・ルッキ 

 

六甲山サイレンスリゾートの修復には、イタリアデザイン界を代表する建築家、ミケーレ・デ・ルッキ(1951~)が携わりました。

 

 

ルッキはデザインスタジオ「アルキミア」に参加し、その後一大デザインムーブメントを巻き起こした「メンフィス」の主要メンバーとして活躍。

 

 

建築家として、住宅、オフィスから工業用建築物、文化施設に至るまで、世界各国の重要な建築プロジェクトに携わっています。

 

 

また、これまでにエルメスを始めとするヨーロッパのラグジュアリーブランドや有名企業の依頼を受け、家具や照明など様々なプロダクトやコレクションをデザイン設計し、革新的なデザインを発表し続けました。

 

 

 

代表作は、ドイツ銀行ビル、ドイツ鉄道、ENEL(エネルギー会社)、イタリア郵便局、ヘラ(エネルギー会社)、サンパオロ銀行、ウニクレディト銀行といった、イタリア国内外の様々な民間と政府機関のための設計デザイン。

 

 

 

1988~2002年まで、オリベッティ社のデザインディレクターを務め、2000年にはこれまでの功績を認められてチャンピ大統領から、イタリア共和国ウッフィチャーレ勲章を授章されました。

 

 

 

八光カーグループの挑戦 

 

大阪で万国博覧会が開催予定の令和7年(2025)までに及ぶ六甲山サイレンスリゾートのプロジェクトは、八光カーグループの事業拡大の新しい投資という側面を持ちます。

 

 

八光カーグループは昭和34年(1959)に国産車の整備工場として創業し、現在はマセラティ、アルファロメオ、マクラーレンなど計8ブランドの欧州高級車を取り扱う輸入正規ディーラー。

 

 

現在は京阪神などの西日本を中心とした5府県に25店舗を展開しています。

 

 

その狙いは、六甲山エリアの活性化により、近年減少の傾向にあった富裕層観光客の関心を、再び六甲山地へ向かせること。

 

 

市街地から1時間ほどの快適なドライブで到達することのできる豊かな自然、特筆すべき景観。そして安全、安寧、優れたサービスを求めて来日するインバウンド観光客の誘致でもあります。

 

 

新時代のリゾート 

 

「六甲山サイレンスリゾート旧館」の誕生は「六甲山再開発」という挑戦の幕開けを意味し、今後も様々な施設が続々とオープンする予定です。

 

 

しかし、コロナ禍で開発が遅れていて、当初令和2年(2020)に完成するはずだった「森に佇むカフェテリア」は、令和7年(2025)に完成予定。

 

 

宿泊棟「サイレンス・リング」は、輪のように連なる建物の中心部分に森を再現した大胆な設計。地下1階・地上2階の建物で、当初令和3年(2021)に完成予定だったのが、令和5~6年(2023~2024)の完成を目指すそう。

 

 

さらに、オードトリウム(コンサートや劇を鑑賞できる観覧席)や、結婚式を行える教会など、文化と芸術を育む複合施設を展開。令和7年(2025)に全ての完成を目指して建築を進めています。

 

 

展示室入った所にある模型は、六甲山サイレンスリゾートの完成をイメージしたもの。令和7年(2025)まであと3年。去年旧館を訪問した時、工事している気配が全くなかったのですが、本当に間に合うのでしょうか?