9月8日(木)昼休み。JR三ノ宮駅南、旧西国街道を東へテクテク。

 

 

六甲ミーツアート2022の阪神三宮駅周辺特別展示会場に到着。

 

 

漫画家・横山裕一(1967~)の『ネオ万葉』を見ました。『万葉集』をはじめ、古典歌集の短歌に独自の解釈を盛り込んで漫画化した、当時の歌人びっくりの作品です。

 

 

《月下》

 

鎌倉幕府の第3代征夷大将軍、源実朝(1192~1219)の歌「萩の花 くれぐれまでも ありつるが 月出でて 見るになきが はかなさ」は、本来、萩の花の可憐さと哀れさから、実朝の孤独感や寂寥せきりょう感を表現した歌。

 

それが漫画では、「萩の花は夕暮れまで庭に咲いていたのに、月が出てから見ると、もうなくなっている。何というはかなさよ。」という単純明快な解釈になっています。

 

 

《GATE》

 

作者不詳「一日には 千たび参りし 東の 大き御門を 入りかてぬかも」は、草壁王子の死を悼んで詠まれた晩歌の一首。

 

それが漫画では、「一日に千度も参上した東宮の大きな御門なのに、今は入りかねることか。」私にはこの解釈の方がしっくりきます。

 

 

《滝》

 

百人一首でおなじみの「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ」は、平安時代の歌人、藤原公任きんとう(966~1041)が藤原道長の供をして大覚寺を訪れ、そのあと大堰川に行って詠んだ歌です。

 

それが漫画では、「この滝の音は、絶えてからすっかり長い年月が経ってしまったが、その名声は今に流れ伝わって、やはり聞こえてわたっていることだ。」と解釈。作者の漫画家としての願望が垣間見れます。

 

 

鳥総とぶさ

 

「鳥総立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ」は、大友家持が能登郡の番島の津から船に乗り、熊来村を目指して行った時に作った一首です。「鳥総」とは、木の末や枝葉の茂った先。樹木を伐った後に山の神に対してその鳥総を立てておく習慣がありました。

 

 

「奈呉の海に 船しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと 見て帰り来む」は、天平20年(748)、左大臣橘諸兄の使者としてやってきた田辺福磨が、館で大友家持のもてなしを受けた時に詠んだ歌です。現代語訳は「奈呉の海で船をしばらく貸してください。沖に出て波が寄せて来るかと見て帰って来ましょう。」

 

 

紙面から波の音が聞こえてきそうな力作ですが。ここに展示したのは失敗ですね。立ち止まって漫画を読むには人の流れが速すぎました。

 

 

この後JR六甲道駅へ移動。美術家・さとうりさ(1972~)の「あべちゃん、なんかついてるよ」は、駅北の花壇にありました。六甲ミーツ・アート芸術散歩2017のメインビジュアルとしてポスターになり、自然体感展望台(六甲枝垂れ)に展示された人気作品です。

 

 

「あべちゃん」がつけているのは涙。何事にも先回りして憂いてしまう性格で、それを憂いている作者。どこかズレながらも互いの心配がぐるぐると巡り、絶妙なバランスで成り立っている世界。制作当時、作者は漠然と不安を抱えていたに違いありません。

 

 

ここから市バスに乗れば六甲山の麓に行けます。六甲山上に行けば展示物はいっぱいありますが。今年のミーツアートはどうしようかな。無料会場だけにしようか、鑑賞パスポート(日中2,300円)を買おうか、迷っています。