11月28日(日)


神戸元町にある相楽園そうらくえん船屋形ふなやかたの内部公開があり、行ってきました。


 

今回はそのレポートです。以下の本文は、頂いた資料や展示パネルから引用しました。


 

船屋形は、江戸時代に姫路藩主が、河川での遊覧用に使っていた川御座船かわござぶねの居室にあたる屋形部分(画像の黒丸で囲った部分)です。


 

江戸時代、西国諸大名は参勤交代のため競って御座船を造りましたが、現存するものは、この船屋形と多度津たどつ藩(香川県)の「船屋形茶室」、熊本藩の「細川家舟屋形」の3例しかなく、川御座船としては船屋形のみです。


 

その希少性から、この船屋形は、昭和28年(1953)、国の重要文化財に指定されました。


 

内部は1階、2階とも3室に分かれています。床が一段高くなっている2階中央の部屋が最も重要な藩主用の「上段じょうだん」で、その前方(池側)は船の指揮者が座る「床几しょうぎの間」、反対側が従者のはべる「つぎの間」です。


 

川御座船であった当時の1階部分は、現在植えてある生け垣の上までしかなく、この高さにある機材が船体と屋形を分ける船框ふながまちです。


 

塗装は内外すべて漆塗うるしぬりで、木肌の見える春慶塗しゅんけいぬりと重厚な黒漆塗くろうるしぬりに塗り分けられています。



 

加えて、長押なげし垂木たるきの先端などに金箔きんぱくを施した錺金具かざりかなぐを打ち、



 

戸はさんの間に金箔を押した舞良戸まいらどとするなど、その華麗な造りは、大名の豪奢ごうしゃで風流な暮らしぶりがうかがえます。


 

船屋形の建築年代をはっきり示す史料は残されていません。しかし、錺金具の家紋の痕跡から、本多ほんだ忠国ただくにが姫路藩に入封した天和てんな2年(1682)から宝永ほうえい元年(1704)の間と推定されます。



 

明治元年(1868)に、飾磨港しかまこう(姫路市)付近に置かれていたものが、高砂たかさご市の私邸内に移築され、その後、昭和16年(1941)に、神戸市垂水区の私邸の敷地内に再び移築されました。


 

昭和53年(1978)に前所有者より寄贈を受けた神戸市が、昭和55年(1980)に現在の相楽園内に移築・修理し、現在に至ります。

 

 

引用はここまで。それでは早速、船屋形の内部を見ていきましょう。


撮影OKでしたが、人の流れを止めないように気を遣いながらの撮影で、構図をぱっと決められない私には難しかったです。

 

 

まずは1階から。

 

つぎ下の間と上段じょうだん下の間

 

上段下の間

 

上段下の間と床几しょうぎ下の間

 

床几下の間と船首側せんしゅ(おもて)

 

船尾側せんびがわ(とも)と次下の間

 

 

次は2階

 

つぎの間

 

上段じょうだんの間

 

上段の間

 

床几しょうぎの間

 

 

それから、見ての通り紅葉が見頃のピークを迎えていました。

 

茶室に紅葉

 

つくばいに紅葉

 

土橋に紅葉

 

燈篭に紅葉

 

船屋形に紅葉

 

青空に紅葉


 

この後、庭園散策に続きます。