8月14日(木)夕方。人が減ったのを見計らって、美術館「えき」KYOTOに入館。
「人生はよろこばせごっこ やなせたかし展」は、アンパンマンの生みの親・やなせたかし(1919~2013)の初の大規模巡回展。
展示物を「やなせたかし大解剖」「漫画」「詩」「絵本/やなせメルヘン」「アンパンマン」のテーマ別に分類。作品を通してやなせたかしの「人となり」を知りました。
やなせたかしのプロフィールと作品
1919年、高知県出身。本名柳瀬嵩。東京高等工芸学校工芸図案科(現千葉大学)卒業後、東京田辺製薬宣伝部に入社。徴兵され復員後は高知新聞社で雑誌編集を担当。
「絶望のとなりに」制作年不明
1947年上京、三越百貨店宣伝部を経て53年に漫画家として独立。舞台美術、作詞、ラジオ・テレビの構成も手がける。67年、「ボオ氏」で週刊朝日マンガ賞受賞。73年創刊の雑誌「詩とメルヘン」(サンリオ)の編集長を務めた。
「ボオ氏」より「鳩とトビウオの巻」1967年
「いちごえほん」1976年2月号表紙絵「雪の天使の2月号」
同年『あんぱんまん』(フレーベル館 月刊絵本「キンダーおはなしえほん」)発表。88年にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始、国民的人気を博する。
『アンパンマン伝説』「ばいきんまん登場」1997年
「やなせうさぎとアンパンマン」制作年不明
作詞に「手のひらを太陽に」(1961)、絵本に『やさしいライオン』(フレーベル館、1975)ほか多数。2013年、94歳で永眠。
「てのひらを太陽に」制作年不明
「夕陽と決闘」1998年
人生はよろこばせごっこ
漫画家、詩人、絵本作家、イラストレーター、デザイナー、編集者など多彩な活動を繰り広げたやなせたかしは、極上のエンタテイナーであり、「人を喜ばせること」を、人生最大の喜びとしていました。
幼い頃から漫画家になる事を夢見ていたが、生活のためにデザインの勉強をした事から、仕事の幅が広がり、多方面で活躍できたけどのでしょう。あまり知られていませんが、売れない漫画家時代は大人向けに漫画を描いていたそう。
子供向けの漫画を描き始めてからの活躍は周知にとおり。やなせたかしの代表作とされる「アンパンマン」も、発表当初、関係者からのウケが悪かったものの、幼い子供たちに支持されて、ヒット作になりました。
アンパンマンは『苛酷な戦争体験、家族との別れ、様々な人との出会いに揉まれ、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を自分に問い続けたやなせが辿り着いた、かっこ悪くても、本当に困っている人に一片のパンを、「あんぱん」を与えられるヒーロー像』。
アンパンマンにそんな深いエピソードがあるとは知らず、これまで「仲間がいっぱいいて楽しそう」と思っていた自分が浅はかに感じられました。
展示の最後は、2026年に創立30周年を迎える「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」の紹介でした。高知県香美市にあります。
そして、展示室の外には、やなせたかしの名言がずらり。
中でも、『アンパンマンの遺書』より「逆転しない正義とは献身と愛だ」という言葉が印象に残りました。