嵯峨嵐山文華館で見た「HaikuとHaiga」より、第3章を振り返ります。以下の文章は、展示パネルから引用しました。
第3章 池田遙邨 山頭火シリーズ
池田遙邨(1895~1988)は現在の岡山県倉敷市出身の日本画家。父親の転勤で居を移した大阪で洋画を学び、19歳の時には第8回文展で初入選しました。その後、小野竹喬の紹介で竹内栖鳳に師事して日本画に転向、92歳で亡くなるまで精力的に絵筆を執り続けました。
江戸時代の浮世絵師で、版画《東海道五十三次》を制作した歌川広重に傾倒していた遙邨は、東海道を3度も旅をし、《昭和東海道五十三次》と《東海道五十三次図絵》などを制作しました。
また、89歳亡くなるまでは、漂泊の俳人・種田山頭火(1882~1940)に心を寄せ、彼の句の世界を絵画化することに挑戦しました。これらは「山頭火シリーズ」と呼ばれ、現在28点にのぼります。(以下省略)
26. 山頭火シリーズ《すすきのひかりさえぎるものなし》
昭和63年(1988)
画面の大半を占める群生する芒。太陽に照らされた穂が秋風に吹かれて揺れているようです。山頭火の歌から想像して描かれた本作ですが、歌をそのまま絵にするのではなく、見る人が様々な想像を膨らませることができるように1匹の狐を描き加えています。
下図
完成品
1匹の狐
27. 山頭火シリーズ《けふはここに来て枯葉いちめん》
昭和63年(1988)
画面に埋め尽くすのは、赤や黄色、茶褐色の落葉。白い部分は、右下の落葉を焼いている火から立ちのぼる煙です。遙邨は煙の白と様々な色の紅葉を対比させて秋の風情を感じられるように工夫を凝らしています。もともとの句は「枯葉」ではなく「枯葦」で、遙邨はあえて一部を変更した上で絵画化しました。
火と炎
28. 山頭火シリーズ《春の海のどこからともなく漕いでくる》
昭和63年(1988)
春の暖かな日差しで照らされた海。波もたてずに、どこからともなくやってきた舟が穏やかな情感を醸し出します。この句に対して遙邨は、川や海などで支柱や碇で袋状の網を固定して張り、魚を捕る張網と、魚のおこぼれを狙っている白鷺を画面下に配置。舟もいなくなってさざ波だけが聞こえる、山頭火の詠んだ句の後の景色を表現しようとしたのでしょう。
魚と白鷺
30. 山頭火シリーズ《やっぱり一人はさみしい枯草》
昭和63年(1988)
夏から秋への季節の変わり目でしょうか。一面に広がる草は緑に葉が茶色に変わり始めています。草に囲まれた3体の石仏と朽ちかけた社は、人の往来があまりない道であることを暗示しています。山頭火が詠んだ「孤独」という感情を見事に絵画化した作品です。
下図
完成品
社と石仏
山頭火の句を通して故郷岡山を思いだしたのかな。ほのぼのとした絵にほっと心が和みました。倉敷市立美術館に行くと、常設で遙邨の作品を見れるようですね。
雨上がりの嵐山。日が陰り、外套が点灯しています。
嵯峨嵐山文華館を出て、嵐山駅に向かいました。
おわり