HaikuとHaiga② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

嵯峨嵐山文華館で見た「HaikuとHaiga」より「野ざらし紀行図巻ずかん」の前半を振り返ります。以下の文章は展示パネルより引用しました。

 

 

  野ざらし紀行図巻(1~10)

 

「野ざらし紀行」は、松尾芭蕉(1644~1694)による初めての紀行文です。1684年8月、41歳の芭蕉は江戸を発ち、名古屋と伊勢を通って故郷の伊賀に到着します。その後、京から近江、名古屋を経て、江戸深川のいおりに翌年4月末に戻りました。

 

その旅で詠んだ俳句を中心にまとめたのが「野ざらし紀行」で、芭蕉独自の俳諧が確立する画期的な作品となりました。

 

芭蕉の親友、山口素堂そどう(1642~1716)の文で始まる《野ざらし紀行図巻》は、芭蕉自身が文章と俳句、さらに21場面の挿図を執筆した作品です。

 

 

序文

 

本作に添えられた序文は、江戸時代の詩人で俳人の山口素堂が芭蕉没後に寄せたもので、野ざらし紀行に記載された俳諧の内容を紹介し、解釈を加えています。

 

 

01. 江戸から大垣へ

 

野ざらし紀行は、江戸から東海道を箱根に向かう道中にて、「路からで死んで、しかばねが野ざらしになってもいい覚悟で旅に出た」という句を詠むところから始まります。

 

 

千里に旅立て、「路粮みちかてをつゝまず、三更月下さんこうげっか無何むかに入」と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享じょうきょう甲子かっし秋八月江上こうじょう破屋はおくをいづる程、風の声そゞろ寒気也。

【訳】千里の旅に旅立つが、「道中の食料も包まず、真夜中に月光の下、無心無我の理想の郷に至る」と言ったという、昔の人の杖を心の支えにし、貞享甲子(1684年)秋8月、隅田川沿いのあばら家を出る時、風の音がどことなく寒々としていた。

 

① 野ざらしを心に風のしむ身哉みかな

【訳】旅の道中で死んで髑髏どくろをさらすことになるかもしれない。そんな覚悟で旅立つ。風はつめたく、身にしみることよ。

 

秋十あきにとせかえって江戸をさす古郷こきょう

【訳】江戸に移って10年目の秋、故郷に向けて旅立ったが、もはや江戸のことがかえって故郷のように懐かしく感じられる。

 

 

 

02. 雨の箱根越え

 

同行者である「ちり(千里)」という弟子と共に、雨の箱根を越えてゆきます。

 

 

きりしぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

【訳】霧雨きりさめで富士山は見えないが、かえってそんな景色が趣深い。

 

芭蕉はこの後の文で、旅中の千里の誠実な気遣いに感謝の意を述べています。

 

④ 深川や芭蕉を富士に預行あずけゆく(ちり)

【訳】深川の庵にある芭蕉の木。置いていくのは気がかりだが、庵から遠くまで見える富士山の景色の中にしばらく預け置いて、さあ旅立つこととしよう。

 

 

 

03. 富士川の捨て子

 

芭蕉と千里が富士川のほとりを行くと、三歳ほどの捨て子が泣いていました。ほんの一時しのぎにしかならないと分かっていながらも、わずかな食料を与えて行き過ぎる芭蕉。

 

 

富士川のほとりを行に、三つばかりなる捨子の、哀気あはれげに泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計つゆばかりの命待まと、捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物くいものなげてとをるに、

【訳】富士川のほとりを行くと、三歳くらいの捨て子が哀れに泣いていた。きっとこの子を育てることができなかった親が、かといって急流に赤子を投げ込んで浮世をわたることにも耐えかねて、露ほどのはかない命が失われてしまう間、捨て置いたのだろう。小萩が秋風に吹かれるように、今宵散るだろうか、明日しおれるだろうかと思いながらも袂から食物を投げてやるが

 

⑤ 猿を聞人きくひと捨子すてごに秋の風いかに

【訳】猿の声に哀れを感じた詩人たちよ、秋風の中に響くこの赤子の声をどう受け止めますか。

 

いかにぞや、汝ちゝに悪まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきなけ。

【訳】なぜだ。お前は父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。いや、父はお前を憎んだのでは無い、母はお前を疎んだわけではない。ただ、天がお前に下した運命を泣くがいい。

 

 

 

04. 雨の大井川

 

一日中雨が降る中、大井川おおいがわを越える芭蕉たち。

 

⑥ 秋の日の雨江戸に指おらん大井川(ちり)

【訳】秋の雨続き。江戸の人々は指折り数えて、私たちがそろそろ大井川にかかったのでは、などと噂していることだろう。

 

⑦ 道のべの木槿むくげは馬にくはれけり

【訳】道端に木槿が咲いているなあと見ていると、乗っている馬にすばやく食べられてしまった。

 

 

05. 小夜の中山

 

 

廿日余はつかあまりの月かすかに見えて、山の根際ねぎわいとくらきに、馬上にむちをたれて、数里いまだ鶏鳴けいめいならず。杜牧とぼく早行そうこうの残夢、小夜さよの中山に至りてたちまち驚く。

【訳】20日過ぎの有明の月がかすかに見える、山の麓の真っ暗な道中、馬の上で鞭を垂れ馬にまかせて数里進んできたが、まだ朝は来ない。杜牧の「早行」の漢詩のように、夢の中にいる気分のまま、小夜の中山に至ってはっと目が覚めた。

 

 

 

⑧ 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり

【訳】夢心地のままに馬に揺られて来たが、はっと目が覚めて辺りを見渡すと、有明の月はすでにはるか遠くに浮かび、家々からは茶を煮る煙が立ち昇っていた。

 

 

06. 伊勢神宮

 

伊勢に住む松葉屋風瀑ふうばくもとを訪れて、十日ほど滞在。僧のような出立ちなので、伊勢神宮の内宮ないくうに入ることを許されない芭蕉は、日が暮れてから参詣した外宮げくうの趣に感じ入り、尊敬する西行さいぎょう法師が詠んだ和歌を思い出しました。

 

 

⑨ みそか月なしとせの杉をだくあらし

【訳】月の無い晦日みそかの夜。外宮の千年杉を抱くように、嵐が吹いている。

 

伊勢南方にある西行が隠棲したとされる場所、西行谷を通りかかった際、麓の川で、女たちが芋を洗うのを見かける芭蕉。ここでも宿をもとめた西行法師が遊女とやりとりをしたエピソードを思いだし、一句詠みます。

 

⑩ 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

【訳】芋を洗う女たちよ。私がもし西行法師であれば、彼女たちに歌を詠みかけるのになぁ。

 

 

その日の帰り道、茶店に立ち寄ると、「てふ(蝶)」という名の女が「私の名前で発句を作ってください」と言って白い布を差し出したので、その布に書き付ける芭蕉。

 

⑪ 蘭の香やてふのつばさにたき物す

【訳】蘭にとまっている蝶の羽にはまるで、香を焚き染めるように香りがうつるであろう。

 

つたうえて竹四五本しごほんのあらし哉

【訳】蔦と4、5本の竹を植えたほどの庭。嵐でざわざわと吹き鳴らされる感じが味わい深い庵の景色だこと。

 

 

 

07. 帰郷

 

9月、伊賀上野に帰省した芭蕉。昨年母親が亡くなり、兄は見た目にも年をとってきています。兄から母親の遺髪いはつの入った守り袋を渡され、まるで玉手箱だなと言われしばらく涙にくれます。

 

 

⑬ 手にとらばきえんなみだぞあつき秋の霜

【訳】手に取った母の遺髪は、熱い涙のために消えてしまうのではないか。秋の霜のように。

 

 

 

伊賀を出た一行は奈良を行脚し、千里の故郷である葛城郡の竹の内にしばらく滞在します。

 

 

⑭ わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

【訳】綿弓わたゆみを弾くと、まるで琵琶のような音で心が癒される。そんな竹藪の奥の住まい。

 

 

08. 当麻寺

 

 

 

二上山ふたかみやま当麻寺たいまでらもうでゝ、庭上ていじょうの松をみるに、凡千およそちとせもへたるならむ。大イサ牛をかくす共いうべけむ。かれ非常といえへども、仏縁にひかれて、斧斤ふきんの罪をまぬがれたるぞ幸にしてたつとし。

【訳】二上山当麻寺に詣でて、庭の松を見ると、樹齢千年くらいかとも思われる。『荘子そうじ』に出てくる、牛を隠すほどの大きな木といってもよい。松には心が無いとはいえ、寺に植えられたという仏縁のおかげで、斧で切り倒される罪から免れているのだ。幸運であり、と尊いことだ。

 

そう朝顔幾死いくしかへるのりの松

【訳】僧も朝顔も幾度死んで代替わりしたことだろう。仏法と共に、この松が生き続けるその間に。

 

 

 

09. 吉野、西行の庵の跡

 

奈良の秘境、吉野へ向かった芭蕉は、西行が庵を結んだ跡地を訪れます。僧坊に一夜を借りて、次の句を詠みました。

 

 

きぬたうちて我にきかせよやぼうが妻

【訳】いつものようにきぬたを打って私に聞かせておくれ、宿坊の妻よ。

 

 

西行の庵のそばには、今も西行が歌に詠んだ「とくとくの清水」がとくとくと雫を落としています。もし日本にいんの聖人伯夷はくいがおれば、必ずこの清水で口をすすぐだろう。また、清廉潔白な許由きょゆうにこの清水のことを告げれば、耳を洗うだろう、と尊く感じる芭蕉。

 

 

⑰ 露とくとく心みに浮世すゝがばや

【訳】西行も詠んだ、とくとくと音を立てて滴る清水で、ためしに浮世の俗塵を洗い流したいことだ。

 

その後、後醍醐ごだいご帝の霊廟れいびょうを拝み、次の句を詠みます。

 

御廟ごびょう年経としへしのぶは何をしのぶ草

【訳】御陵は長い年月を経て、荒れてしまい、しのぶ草が生えているが、いったい何を忍ぶというのか。

 

奈良から山城を通り、近江を経て美濃に至った芭蕉。室町時代の連歌師れんがしで伊勢神宮の神官だった荒木田あらきだ守武もりたけの、「よし朝殿に似たる秋風」の歌にちなんで一句詠みます。

 

 

義朝よしともの心に似たり秋の風

【訳】尾張で部下に殺された源義朝。その心を思うと、さびしくもしみじみとする秋の風。

 

 

10. 不破の関・大垣

 

 

⑳ 秋風ややぶも畠も不破ふわの関

【訳】かの不破の関所は今も跡形も無く、藪にも畑にも秋風が吹きすさんでいる。

 

大垣おおがきに泊りける夜は、木因ぼくいんが家をあるじとす。武蔵野を出る時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、

【訳】大垣に泊まった夜は、門人の谷木因の家の客となった。武蔵野を出発した時は、「野ざらしを~」の句を詠み、死をも覚悟して旅立ったところ

 

㉑ しにもせぬ旅寝たびねはてよ秋の暮

【訳】死ぬこともなく、旅寝を重ねてきてその果てに今ここに来て、秋も暮れとなった。

 

 

 

 

 

つづく