グランフロント大阪で見た「ポール・マッカートニー写真展」の続き。アメリカ・ツアー前半です。以下の文章は展示パネルから引用しました。
旅立ちと上陸
ビートルズは、1964年2月7日にニューヨークへ飛んだ。これはポール・マッカートニーにとって初の大西洋横断飛行だった。バンドはニューヨーク、ワシントンD.C.、マイアミ間を行き来する多忙なスケジュールを組まれていた。
ヒースロー空港を出発
飛行機の窓からの眺め
リンゴ・スター
ブライアン・エプスタイン
マイケル・ブラウン(アメリカのジャーナリストで『ラヴ・ミー・ドゥ!ザ・ビートルズ・プログレス』の著者)
記者と話すジョン・レノンとブライアン・エプスタイン
ブライアン・エプスタイン
シンシア・レノン
機内で眠るジョージ・ハリスン
ケネディ空港での記者会見
飛行機が着陸するとすぐに、ビートルズは騒然とする記者会見場となるラウンジに案内された。報道担当のブライアン・サマービルは、秩序を保とうとし、ジャーナリストたちに向かって、「紳士諸君、どうか静かにしてください!」と叫んだという。バンドは冷静な振る舞いと機転の効いた受け答えでこのツアーの雰囲気を作り上げた。
ケネディ国際空港での様子
警察と空港スタッフ
ジョエル・ランド―らの一行
アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド
ビートルズがアメリカに到着したとき、彼らの曲「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・バンド(抱きしめたい)」が全米チャートのトップとなり、人気の『エド・サリバン・ショー』への出演が決まっていた。
ザ・ビートルズがやって来る!
報道
ファン
報道陣
マンハッタンで初めてポール・マッカートニーが撮影した写真は、バンドの運転手が運転する車の窓越しに撮影され、西58丁目で彼らを追いかけるファンの姿を捉えたものだった。
マンハッタン
6番街を横切る西58丁目のファン
5番街のプラザ・ホテルでビートルズの到来を待つファン
彼らが宿泊することになっていた5番街にある豪華なプラザ・ホテルの前で、ポールは群衆を取り締まる騎馬警察の姿を撮影している。
警察
報道陣
ニューヨーク・シティでのポートレイト
ビートルズがニューヨーク市に到着した日、彼らはセントラルパークでの記者会見に招待された。ジョージ・ハリスンは扁桃腺炎を患い、プラザ・ホテルにとどまった。
セントラルパークを望む景色
ニューヨークの街並み
プラザ・ホテルにて、ジョージ・ハリスン
プラザ・ホテルにて、ロニー・スペクター
プラザ・ホテルにて、ジョン・レノン
プラザ・ホテルにて、シンシア・レノン
プラザホテルにて、ブライアン・エプスタインとジョン・レノン
写真家たちはメンバーの名前が確かでなかったため、「ヘイ、ビートル、ヘイ、ビートル!」と呼びかけ、バンド・メンバーの注意を引いた。ポールが写っている写真は、バンドの側近のひとりが彼のカメラで撮影したもの。
セントラルパークでの記者会見
ニューヨークの警察
ポートレート
エド・サリバン・ショーでのビートルズ
2月9日の『エド・サリバン・ショー』でのザ・ビートルズの初出演は、7,300万人という記録破りの視聴者を魅了し、歴史に残るものとなった。このバラエティ番組は、CBSが毎週日曜日の夜にニューヨークから生放送していたファミリー向けの人気番組だった。
エド・サリバン・ショーでのリハーサル
ドラムセットとリンゴ・スター
ポール・マッカトニーのコンタクト・シートの1枚には、前日のショーのリハーサル中に撮影された写真が含まれている。
ニューヨークからワシントンD.C.へ
この一連の写真は、ニューヨークからワシントンD.C.に向かう列車の中と、ユニオン・ステーションからザ・ビートルズ全米初のコンサートが決まっていたワシントン・コロシウムまでの市内を走る車窓から撮られている。彼らは当初ニューヨークから飛行機で行く予定だったが、大雪のため予定を変更。翌日列車でニューヨークに戻り、カーネギー・ホールで2回のショーを行った。
見知らぬ男性
景色
アメリカ合衆国議会議事堂
ホワイトハウス
ART
車
車からの景色
ワシントンで見た見知らぬ女性
コロシアムの大型看板、ビートルズのアメリカ初ライブ・パフォーマンスの宣伝
ポール・マッカートニーにとって、アメリカは何もかもが初めてで新鮮だったのかな。日数の割に写真が多くて整理に手間取りました。
つづく