須田国太郎の芸術② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

西宮市大谷記念美術館で見た「須田国太郎の芸術」の続きです。以下の文章は展示パネルから引用しました。

 

 

大学院に進学した須田国太郎は、「絵画の理論と技巧」を課題として研究を進める中で、西洋絵画の研究の為に渡欧する準備を進めていました。大正7年(1918)に第一次世界大戦が終わると、翌年に大学院を退学し、インドを経由してヨーロッパに向けて出発しました。

 

 

 

その時に使用したのが、当時ではまだ珍しい2台のカメラでした。1台はアメリカ製のカメラで胸の前に構えて撮影し、ロールフィルムを使用することによって撮影操作が速やかにできるもので、もう1台はドイツ製の三脚に載せて撮影し、厳密な構図を決めるのに適したカメラでした。

 

米イーストマン・コダック社製「No.3オートグラフィック・コダックスペシャル」

 

独クルト・ベンツィン社製「レヒティック・プリマ―」

 

 

須田にとってカメラは、美術研究者として、あるいは旅人としてのまなざしから捉えた感動を記録する一つの備忘録的なものであったと考えられます。

 

 

須田は、大正8年(1919)から12年(1923)までの4年間に、スペインを拠点にヨーロッパ各国の170を超える町を訪れ、文化史的あるいは美術史的な観点から建築物や遺跡、そして風物などを写真に収めています。

 

《サグントローマ劇場跡》1922年

 

《グレコ・イベリヤの首》1922年

 

《タージ・マハル(インド)》1919年

 

《アジャンター石窟寺院(インド・アジャンター)》1919年

 

《コインブラ大聖堂(ポルトガル・コインブラ)》1920年

 

《ポスト市立図書館(ポルトガル・ポルト)》1920年頃

 

《ベルギーヘント(ベルギー・ヘント)》1920年

 

《オウレンセ大聖堂(スペイン・オウレンセ)》1920年

 

《カンピドリオ広場のセナトリオ宮殿(イタリア・ローマ)》1921年頃

 

《ベネチアの街並み(イタリア・ベネチア)》1921年

 

《シシィ博物館からミヒャエル広場を望む(オーストリア・ウィーン)》1921年

 

《三美神の噴水(フランス・モンペリエ)》1921年

 

《サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会(スペイン・トレド)》1922年

 

《Operahouse(Semperoper)(ドイツ・ドレスデン)》1922年

 

 

《ピラミッド(エジプト・ギーザ)》1923年

 

 

須田は、独立美術協会の会員となって以降、毎年のように取材旅行に出かけており、京阪神地区を中心に、甲信越、中国、四国、九州地域と驚くほど頻繁に旅をして、各地域の風景を描いた作品を発表しています。

 

《サモラ郊外》1920年

 

《モヘンテ》1922年

 

《ミゲール寺院にて》1922年

 

《遺跡(サグント劇場跡)》1922~23年

 

《グレコ・イベリヤの首》1931年

 

《西班牙山間》1932年

 

《牛》1934年

 

《夏の朝》1933年

 

《信濃の山》1934年頃

 

《愛宕山より》1934年

 

《雨後(水間村)》1935年

 

《村》1937年

 

《岬(室戸)》1944年

 

《朝やけ(河内葛城山)》1950年頃

 

《八幡平》1954年

 

 

あと、須田国太郎が使用した画材道具の展示もありました。一見ゴミになりそうなものでも有名人が使ったものは資産になるのが不思議です。

 

画箱

 

油絵用二つ折りパレット

 

油絵用三つ折りパレット

 

筆・ペインティングナイフ

 

乾性油

 

絵具箱付き野外イーゼル

 

野外イーゼル

 

 

パリに留学した画家の絵とは一味違う須田の絵。褐色を基調とした色彩、手前を暗く奥を明るくする手法は、バロック絵画の影響を受けたものだと知り、合点しました。

 

 

つづく