円空 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

3月14日(木)あべのハルカス美術館。「円空ー旅して、彫って、祈ってー」を見に行きました。

 

 

円空(1632~1695)の事は、美濃国出身の修験僧という事しか知らなかったので、音声ガイドを拝借。ナビゲーター・諏訪部順一さんの声はよく響き、あたかもお堂にいるかのような錯覚に陥りました。

 

 

それでは、展覧会の内容に入ります。以下の文章は、パンフレット裏面や展示室のパネルから引用しました。

 

 

  概要

 

修行の旅に生涯を捧げ、人々のために祈りを込めて仏を彫った円空。生涯に12万体の神仏を彫る誓願を立てたといわれ、飛神の剣のようにノミを振るい、神仏を彫り続けました。 謎の多い一生ですが、その生きた証として、優しく微笑む観音像、迫力に満ちた護法神像など、今も5千体を超える神仏の像が伝わり、人々に愛されています。

 

 

展覧会では、初期から晩年までの代表作により、創造の足跡をたどりました。初期の作品はすべすべとした丁寧な作風で、修行を積み重ねていくうちに、よりごつごつとした大胆な作風へと変化していったのが分かります。

 

 

50歳前後で白山神の託宣たくせん(「円空の彫る像は仏そのものである」)を受けて確信を深め、ますます精力的に造仏活動を行うようになった円空。住職の舜乗しゅんじょうとは意気投合し、しばし飛騨の千光寺に滞在するようになりました。

 

 

飛騨の千光寺には円空仏寺宝館があり、円空の作品が約60点展示されています。今回の展覧会では、そこから拝借した貞享2年(1685)円空54歳頃の作品が撮影可能でした。

 

 

  飛騨千光寺所蔵の円空仏

 

《金剛力士(仁王)立像(吽形)》

『近世畸人伝』に「袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり」と挿図付きで記された像。目はつり上がっていますが、口角が上がっているので優しげに見えます。

 

木の材質をよく生かしていますね。前から見ると穴の開いた部分は見えず、後ろから見ると枯木で作ったものと分かります。

 

 

《両面宿儺すくな坐像》

円空は通常の両面宿儺の姿と異なり、背中合わせではなく、正面を向いた武人の背後にもう一人の武人が負ぶさるように、表現している。

 

 

 

賓頭盧びんずる尊者そんじゃ坐像》

円空が自身の姿を彫ったとも伝えるが、表面には永年撫でられてきたような艶があり、「撫で仏」賓頭盧尊者の像であろう。

 

 

 

《観音三十三応現見立像》

近隣の村人が病気のときには借り出して平癒を祈ったという。単純化されてはいるが、自ずと1体ずつの個性が表れている。

 

 

《菩薩立像(神像)》

神像とされているが、頭上の突起は冠や烏帽子ではなく、菩薩像である可能性が高いと考えられている。《護法神立像》と同じ材から作られている。

 

 

《護法神立像》 

《菩薩立像(神像)》と同じ材から作られている。果たしてこの2体の像は一組なのであろうか。

 

 

《地蔵菩薩立像》

頭を丸め宝珠を執り岩上に立つ。墨書は無いが、千光寺では地蔵菩薩と呼ばれている。

 

 

《不動明王及び二童子立像》

1材を半分に割り、木の表面側から不動明応立像を作り、残りの材をさらに半分に割ってそれぞれ木の芯側から二童子立像を作る。向かって右が《矜羯羅こんがら童子立像》 左が《制吨迦せいたか童子立像》。

 

 

《弁財天坐像及び二童子立像》

弁財天坐像は、頭上から宇賀神を戴く。二童子像は背面墨書から千光寺に隣接する下保白山神社に伝わった像で、弁財天の脇立の童子であることが知られている。

 

 

《十一面観音菩薩坐像及び両脇侍立像》

下保白山神社に伝わった三尊像。白山三所権現の主神・白山妙理権現の本地仏の十一面観音とその脇侍として作られた。

 

 

《護法神立像》

1本の材を4つに割り、木裏を前面にして作る。この像とほぼ同寸、同じ像容2体の像が高山市飯山寺にもあり、千光寺像と同材で作られたとの伝承がある。

 

 

《金剛童子立像》

円空の筆ではないが、背面に「金剛 袈裟山/千光寺」の墨書があり、金剛童子像と呼ばれる。

 

 

難陀なんだ龍王像・跋難陀ばつなんだ龍王像》

1材を3~4分割したうちの2材から作られている。それぞれ「八大難陀龍玉」「八大龍抜難陀」の墨書がある。

 

 

 

《八大龍王像》

背面に「八大龍玉」の墨書がある。村人たちの求めに応じて雨乞いのために作られたものだろうか。

 

 

 

《宇賀神像》

頭部は三角形を呈しているが、最小限ののみ遣いで表情を表し、その下にとぐろを巻いた胴体とガラガラ蛇のように立ち上げた尾がある。

 

 

《鳥天狗立像》

これらは二対一組ではないが、尖った嘴をもった顔つきが共通しており、このような像は迦楼羅かるらとも呼ばれている。

 

 

 

《狛犬》

下保白山神社に伝わった狛犬。頭上の三角帽子のように見える尖りは角を表すのであろう。胴部には、渦状の雲のような文様を表す。

 

 

《男神坐像》 

下保白山神社に伝わった。背面に「白山神社、烏帽子神像」と墨書された紙が貼られている。単純化された造形の極致を示す。

 

 

《如来坐像・観音菩薩坐像》

いずれも5センチ余りの小型の坐像で、個人から寄進されたもの。円空は求めに応じてこのような小像を制作し、個人の家にも残したのであろう。

 

 

袈裟山けさざん百首》

袈裟山は千光寺の山号。「けさ」という言葉を読み込んだ100首(2首を除く)よりなる。その多くは『古今和歌集』の和歌の一部を「けさ」に置き換えたもの。

 

 

  最後に

 

各地の霊場を旅し、神仏を彫り、祈りを捧げて64年の人生を終えた円空。生涯で12万体の神仏を彫ったかどうかは定かではありませんが、彫るスピードが速かったのは確かです。円空仏は亡くなった人の分身。できるだけ多くの人を成仏したかったのでしょう。

 

 

展示物を見た後は、ミュージアムショップでお買い物。円空ゆかりの千光寺に関連して、飛騨高山の物産コーナーがありました。

 

 

とちの実せんべいと豆板が好評で、もっとたくさん買えば良かったと後悔。会期中にミュージアムショップを再訪しようと思いましたが、なかなか天王寺まで足を延ばせず、展覧会は閉幕してしまいました。