美術の中の物語⑤ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

兵庫県立美術館で見た「美術の中の物語」の続きです。「Ⅴ 近現代の彫刻」では、神話や聖書に基づいた像、偉業を成し遂げた人物像、市井の人々や私的な場面を表した彫像を見ました。

 

 

  Ⅴ 近現代の彫刻

 

オーギュスト・ロダン(1840~1917)

《永遠の青春》1884年

 

この何とも派手なポーズで抱き合い口づけする男女の像は、有名な《考える人》と同じく、ロダンが《地獄の門》という大作を構想する中で生まれました。

イタリアの詩人ダンテの叙事詩『神曲』に着想した《地獄の門》の制作過程では、詩の登場人物であるパオロとフランチェスカの像をはじめ、愛し合う男女の姿がさまざまなバリエーションで作られています。

 

 

オーギュスト・ロダン(1840~1917)

《オルフェウス》1892年

 

オルフェウスはギリシア神話に登場する音楽家です。蛇にかまれて亡くなった妻を連れ戻そうと冥界へ下り、絶妙な竪琴の調べで冥府の王の心を動かします。この作品は、まさに竪琴を奏でている場面でしょう。天を仰ぐ音楽家の滑らかな身体は、不自然なまでに引き伸ばされ、激しく波打つ肌に包まれています。

 

 

メダルド・ロッソ(1858~1928)

《新聞を読む男》1894年

 

ある角度から見ると、クリーム色の塊から新聞を読む人の姿が現れます。360度OKという彫刻の特徴を逆手に取るかのような手法です。イタリア生まれでロダンと同時期にパリで活躍したロッソは、主題の面でも革新的でした。表現されているのは神話や英雄の世界ではなく、近代的な都市で暮らす市井の人物や何気ない日常です。

 

 

エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861~1929)

《風の中のベートーヴェン》1904~08年

 

ブールデルは、敬愛する音楽家ベートーヴェンをモチーフに50種近くもの作品を制作しています。彫刻家からすると少し昔に実在した音楽家ながら、この作品では上半身裸で岩によじ登るという古代の神のような姿で、まさしく神格化されています。なおこの彫像は、1970年に開館した兵庫県立近代美術館が収集活動を始めるにあたり、最初に購入した作品です。

 

 

エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861~1929)

《勝利(頭部)》1914年

 

ブールデルは、ロダンに続くフランス近代彫刻の大家です。アルゼンチン共和国建国の父アルヴェアル将軍をたたえる記念碑に配した「勝利」「自由」「力」「雄弁」の四つの寓意像は、とりわけ人気を博したようで、多くのバリエーションが作られ、日本国内でも大型の全身像が福岡市博物館や箱根の彫刻の森美術館などで設置されています。

 

 

 

シャルル・デスピオ(1874~1946)

《ランド地方の少女》1910年

 

デスピオは、ブールデルなどと同じくロダンに続く世代の彫刻家です。この肖像は、作者の出身地である仏ランド地方のとある少女をモデルに作られました。突き出た額、きゅっと結んだ口、あんず型の瞳…。特徴的な顔立ちが、細部にとらわれることなく簡潔に表現されています。

 

 

オシップ・ザッキン(1890~1967)

《破壊された街》1947年

 

第二次世界大戦で空襲により大きな被害を受けたオランダの町ロッテルダムに、戦後、建てられた記念碑の制作過程で作られた作品です。作者のザッキンは、ロシア(現ベラルーシ共和国)に生まれ、パリを拠点に活動していました。胴にぱっくりと穴が空き、大地を踏みしめる足はあらぬ方を向きながらも、両手に空を突き上げた人物は、精一杯声を上げているようです。

 

 

ナウム・ガボ(1890~1977)

《構成された頭部No.2》1966年

 

 

ヴェナンツォ・クロチェッティ(1913~2003)

《マグダラのマリア》1955年

 

マグダラのマリアはキリスト教の聖人の中で一、二を争う人気を誇り、しばしば美術作品の題材となってきました。20世紀イタリアの彫刻家クロチェッティによるこの作品では、キリストの足に塗ったという香油の壺など特定に物語の場面を示す要素は省かれ、簡素な姿で表現されています。

 

 

ケネス・アーミテイジ(1916~2002)

《バビロンへの道程》1974年

 

謎めいたタイトルは、よく知られたマザーグースの童謡に由来します。

 バビロンまで何マイル?ー60と10マイル。

 ろうそくの灯のあるうちに、そこに行けますか?―はい、行って帰って来られます。

このケンタウロスのような像の意味するところは、童謡と同じく理屈ではなく感じるよりほかないようです。

 

 

ジョージ・シーガル(1924~2000)

《ラッシュ・アワー》1983年

 

 

淀井敏夫(1911~2005)

《ナイルのたそがれ》1976年

 

ゆったりと流れる線の川に沿って、ロバに乗った人や荷車が並んでいます。大きな木のそばには3人組が腰を下ろし、夕暮れのひととき、何を語り合っているのでしょうか。細くごつごつした表現は、兵庫県出身の彫刻家淀井敏夫の特徴的な作風です。淀井はエジプトを1965年に初めて訪れ、72年にも再訪しました。

 

 

舟越保武(1912~2002)

《ダミアン神父》1975年

 

ダミアン神父は1840年ベルギー生まれの実在の人物です。ハンセン病が流行していたハワイ諸島のモロカイ島に、当時は治療法が確立されていない中、志願して布教に赴き、島民の生活環境の改善にも尽くしたそうです。キリスト教徒であった彫刻家の舟越保武は、本で神父の生きざまを知り、この像の制作へと至りました。

 

 

福岡道雄(1936~2023)

<石>にまつわる彫刻

 

4点の彫刻に登場する人物は、いずれも作者である福岡道雄の姿であり、内省的な場面が表されています。戦いの態度表明とも言える《石を持つ》のシリアスさの一方で、いやそれ無理でしょうと思わず突っ込みたくなる《石になれるか》にはユーモアも漂います。

 

《石を持つ》1990年

 

《石になれるか》1984年

 

 

《石を落とす》では、一石を投じた波紋の広がりが目を引きます。崖っぷちで沢山の《石を着る》人には、自分が背負っている重荷とは何かとも考えさせられます。

 

《石を落とす》1976年

 

《石を着る》1987年

 

 

宮崎豊治(1946~)

《シンペンモデル・ユウシカイステーション》1979年

 

テーブルの上に、何やら装置めいた部品が広がります。低く小さな椅子に座ると、天板に取り付けられた部品が、ちょうど顔の輪郭に沿う感じになりそうです。実は作者の身体に合わせた形になっています。つまりタイトルのシンペンとは「身辺」。ユウシカイは「有視界」、目視するためのステーションということでしょうか。

 

 

青木千絵(1981~)

《BODY 17-1》2017年

 

床からわずかに浮いた人間のリアルな足は、生命をはらむかのように膨らんだお腹へとつながり、ひとつの塊となって上へ上へと伸びています。あるいは逆に、天から生命の塊が下りてきて、人の形となっているようにも見えるでしょう。人体の部分は作者自身をモデルにしたようで、艶やかな肌は漆で出来ており、生命体を包む堅牢な殻となるまでに磨き上げられています。

 

 

彫刻は見る角度によって印象が変わる作品もあり、見ごたえがありました。例えば、クロチェッティの作品《マグダラのマリア》。横から見るより正面から見た方が、深刻な悩みを抱えているように見えます。

 

 

つづく