令和5年度 第2回コレクション展② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京都国立近代美術館「令和5年度 第2回コレクション展」より「染物の前衛」「戦後の工芸団体―新匠工芸会」を振り返ります。以下の文章は展示パネルから引用しました。

 

 

  染物の前衛

 

染織の分野では、1970年代以降になるとファイバー・ワークと称される自由な繊維造形が登場します。しかし、それ以前、他の工芸分野同様に日展が作品発表の中心であり、それ以外では日本工芸会や新匠会などの工芸団体が有力な活動の場でした。

 

 

ただし、美術界全体を見渡せば、反官展を打ち出した在野の前衛グループが戦後に次々と登場し、アンデパンダン形式の展覧会も盛んに開催されていました。

 

 

このような中で、京都では、日吉ヶ丘高校美術コース(現・京都市立美術工芸高校)と京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)染織図案専攻の卒業生が、自由な作品発表の場を求めて1958年に染織グループ「ダンダラ」を結成します。このグループは京都書院画廊を会場に作品発表を行いましたが、第3回展に志村光広、中野光雄が参加し、第5回展に麻田脩二が加わりました。

 

 

第5回展終了後にダンダラは解散し、反公募団体を鮮明にした染織集団∞(無限大)が翌年に結成されます。中野は新匠会への出品を選んだために新団体には加わりませんでしたが、麻田の大学の後輩である田島征彦が参加し、∞は志村、麻田、田島ら5人の集団としてスタートしました。

 

 

∞は1973年に解散するまで、染めの可能性を追究する新作で展覧会場を埋めるという姿勢を貫きます。そして、志村の写し糊による型染の反復性と色彩の持つ表現力を追究した作品、麻田の幾何学的なフォルムの重なりを色鮮やかに表現したステンシル型染、田島の三度黒による民話に由来する物語性の強い作品など、各自が独自の作風を確立させました。

 

志村光広(1933~2020)

《タピストリー・ヴァリエーション'69-5》1969年

 

麻田脩二(1938~)

《'68-D》1967年

 

田島征彦(1940~)

《ぽんぽんぴいぴいこまさらさら7》1964年

 

 

一方で新匠会に出品していた中野は、この時期に単純な形態を用いて、その形態の組み合わせや色彩の配置の工夫で様々な視覚的効果を生み出す作品を制作しています。

 

中野光雄(1935~)

《夜の遊園地にて》1966 年

 

 

  戦後の工芸団体―新匠工芸会

 

戦後まもなく1947年に創立した新匠美術工芸会(後の新匠会、1975年から新匠工芸会)は、富本憲吉が国画会を退会したことから、富本を慕う作家たちが同様に国画会を離れ、新しい工芸の団体を作ったのが始まりでした。

 

富本憲吉(1886~1963)

《色絵山帰来と詩句陶板》1949年

 

 

染織の稲垣稔次郎としじろうや、陶芸の徳力とくりき孫三郎、福田力三郎などが参加しており、次に引用する創立文からは、その熱気が伝わってきます。『此際すみやかに旧殻を蝉脱し、新ママしい日本再建に、工藝の課せられたる重大な責務を、独自の立場より自由に、現代生活の上に課すべきが、今後吾々の歩むべき真に正しい方向であると考へ、ここに新らしく発足しやうとして居る。』

 

稲垣稔次郎(1902~1963)

《型絵染壁掛「ソング・オブ・グリーン」》1956年

 

徳力牧之助(1910~1986)

《鹿ヶ谷南瓜図皿》1975年

 

徳力孫三郎(1908~1995)

《釉彩果物図壺》1991年

 

福田力三郎(1908~1984)

《白磁壺》1969年

 

近藤豊(1932~1983)

《墨流し鉢》1966年

 

 

1951年には、官展と位置付けられる日展への出品作家が退会したことから、新匠会と改称して再編成されており、これは結果的に会の性格を明確にしたと言えます。陶磁研究者の内藤匡は「新匠会の印象」という文章で、新匠会の出品作を「平常着ふだんぎの友人」に例えました。

 

富本憲吉(1886~1963)

《鉄描銅彩薊皿》1954年

 

稲垣稔次郎(1902~1963)

《型絵染むくげと野草模様着物》1960年

 

 

求心力を持っていた富本と稲垣は、1963年に相次いで亡くなりましたが、新匠会は継続します。富本の創作姿勢に惹かれて会に参加し、そこで稲垣の型絵染に魅せられて、それまでの蝋纈染から表現技法を変化させていった伊砂いさ利彦や、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)で稲垣に学び、後に、伊砂も務めていた沖縄県立芸術大学工芸学部教授として制作拠点を移した長尾紀壽のりひさなど、直接/間接の影響を受けた多くの作家が発表の場としてきました。

 

伊砂利彦(1924~2010)

《ドビュッシー作曲「前奏曲Ⅱ」のイメージより1.霧》1981~84年

 

伊砂利彦(1924~2010)

《ドビュッシー作曲「前奏曲Ⅱ」のイメージより2.枯葉》1981~84年

 

伊砂利彦(1924~2010)

《王朝三部作「王朝」》1997年

 

長尾紀壽(1940~)

《飾衣装「ウージ畑」》2001年

 

 

日本の「戦後」という長い期間のなかで、既存の価値観に対して変化を求める切実さは、活動領域や個人の問題意識によって異なるかもしれませんが、自由な創作とその発表の場は常に必要とされているのです。

 

望月もちづき玉船ぎょくせん(1943~)

《大空へ》2012年

 

望月玉船(1943~)

《樹響》2015年

 

水内杏平(1909~2001)

《渓屏風》1977年

 

冬木偉沙夫(1927~2001)

《いざない(風と雷の神)》1990年

 

野田睦美(1971~)

《常寂光土》2018年

 

 

新匠工芸会は現在も続いていて、第77回展が11月15日(水)~19日(日)まで、京セラ美術館で開かれるそうですね。

 

 

今日はここまで。次に続きます。