修理のあとにエトセトラ③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

中之島香雪美術館で見た「修理のあとにエトセトラ」付録と第5章を振り返ります。以下の文章は展示室のパネルから引用しました。

 

 

  付録 村山龍平と書画コレクションの整理

 

香雪美術館の所蔵品の中核を築いた、朝日新聞創業者の村山龍平(1850~1933)は、収集した書画作品をジャンルや形態で整理分類し、『古書画こしょが仮目録かりもくろく』を作りました。

 

 

もともと「日本の文化財を守りたい」という一心から収集をはじめた龍平は、次の時代へと作品を伝えていくための修理も同時に行っていたようです。

 

 

村山家には、掛軸などの表装に用いるきれが大量に保管されていました。修理で取り替えられた過去の表具等もあわせて、書画コレクションの修理の歴史をのぞいてみます。

 

 

《古書画仮目録》明治44年(1911)

 

明治44年時点で村山家が所蔵していた書画コレクションの基本台帳。518件の作品が収録されています。絵画は仏画、大和絵など、ジャンルや画家の流派によって5部に分けられており、書跡は墨蹟、歌物の2部、その他に屏風・衝立の部等を合わせ13部構成となっています。

 

國華社用箋が使われていることから、明治34年から『國華』の主幹を務めた瀧精一たきせいいち(1873~1945)が作成に関わった可能性があります。

 

 

《浦島太郎絵巻の木箱と雲形シール》

 

つまに貼り付けられた雲形シールは、古書画仮目録に記載の「浦島物語」と番号が一致しています。

 

 

《佐竹本三十六歌仙絵巻 複製》大正11年(1922)

 

歌仙絵の名品「佐竹本三十六歌仙絵巻」は、大正8年(1919)に歌仙ごとに切断され、くじ引きで分譲されました。本作は、古筆研究家の田中親美しんび(1875~1975)により、その際に作られた複製です。

 

奥付には、抽選会のあらましや各歌仙の当選者名、複製が参加者の希望により製作されたことなどが記されています。村上龍平は、抽選会には参加せず、距離を置いていたようです。

 

 

仏涅槃図ぶつねはんず 旧軸木》

 

現在、東京国立博物館が所蔵する重要文化財「仏涅槃図」に、かつて使われていた軸木です。この「仏涅槃図」はもとは村山龍平が所蔵し、龍平が唯一刊行したコレクション図録『玄庵鑑賞』の筆頭に掲載した作品です。

 

昭和27年(1952)に龍平の養嗣子である長挙は、本作を含む3点の仏画を東京・京都・奈良の国立博物館に譲渡しました。その際軸木が新調され、古い軸木は記念のために保管されたようです。

 

 

《村山龍平のあつめたきれ

 

龍平は様々な裂も収集していました。中でも、龍村美術織物の始祖で、古代裂などの研究・復元に尽力した龍村平蔵(1876~1962)による復元裂は注目されます。

 

大正10年(1921)に、染織品に関する趣味の向上やその普及のため、復元裂を会員に頒布する「織宝会」が組織されます。龍村は、前田家伝来の名物裂を70種復元し、頒布用の端切れとともに350巻の反物たんものを製作しました。

 

 

本紙残片ほんしざんぺん》明治25年(1892)頃

 

絵画作品27件の画絹えぎぬの断片を貼り付け、簡単な注記を入れた折帖。いわゆる本紙料絹サンプル集です。村山家の蔵に美術品とともに保管されてきました。

 

 

  第5章 金属と漆の工芸

 

兜や鎧には、金属、革、絹、漆など多種多様な素材が使われています。各素材に起因する傷みが生じるため、それぞれの状況に合わせて複雑な修理が行われます。

 

 

鉄でできた刀は錆が生じることがあり、定期的なメンテナンスが必要になります。漆は高い耐久性がありますが、カビがついたり乾燥したりすると、木地きじや漆塗膜とまくが割れて、修理が必要になります。これら工芸品の修理は、それぞれの制作技法や素材を熟知した技術者によって施されます。

 

 

薙刀なぎなた 銘 信国のぶくに》江戸時代(18~19世紀)

 

銘より、南北朝時代(14世紀)以降に山城国(京都府南部)を中心に活躍した信国の流れを汲む刀工が、江戸時代に制作した薙刀です。大正時代に建てられた旧村山家住宅日本館玄関棟に、やりなどとともに長年飾られていました。

 

そのため、カバーであるさやが開けられず、刀身が錆びていました。本作は、刀剣専門の研師とぎしによる修理後、刀身に油を塗って密封し、保管する予定です。

 

 

やり 銘 美濃国永貞ながさだ万延まんえん二年二月於伊勢田丸作之いせたまるにおいてこれをつくる

万延2年(1861)

 

村山龍平は刀剣を愛好し、特に伊勢(三重県)の代表的刀工・村正には思い入れがありました。本作も村山の郷土愛を示す作品で、彼の出身地である伊勢国田丸で、美濃国(岐阜県南部)出身の永貞(1806~69)が制作しました。

 

薙刀と同じように旧村山家住宅に飾られていた作品で、錆が出ています。

 

 

脇指わきざし 銘 康光やすみつ》室町時代(14~15世紀)

 

近年修理を終えた刀剣。康光は備前(岡山県南東部)長船おさふね派の刀工で、応永(1394~1427)頃に活躍しました。

 

修理前は刀身に小さな錆などが見られ、江戸時代(19世紀)に作られた黒朱蛭巻塗脇指拵くろしゅひるまきぬりわきざしこしらえに納められたままでした。

 

今回、刀身は最低限の部分研ぎを行い、新しい保存容器「白鞘しらさや」を作成して納め、刀身が入っていた拵には木製の刀身模造「つなぎ」を入れました。

 

 

重要美術品《鉄二十二けん四方白星兜しろほしかぶと》鎌倉時代(14世紀)

 

鎌倉時代に制作された星兜の鉢に、江戸時代(17~18世紀)になって眉庇まびさし吹返ふきかえししころおどしをつけて、当時一般的だった形に変更しています。

 

兜を含む甲冑は鉄・絹・漆・革など、様々な素材を使用しており、修理が難しい作品です。特に絹製の威は変色して切れている事が多くあります。本作で威を新調し、めくれた革を押さえるなどして、作品の状態を改善しました。

 

 

《菊唐草からくさ蒔絵まきえ硯箱》江戸時代(18~19世紀)

 

漆で文様を描き、それが乾かないうちに金粉を蒔いて文様を表す「蒔絵」という技法を用いています。一見綺麗ですが、全体に積年の埃が溜まり、各所に付着物や当たり傷、亀裂、擦傷が見られます。

 

修理計画としては、傷みがこれ以上広がらないよう、細心の注意を払いながら全体をクリーニングし、付着物は溶剤を用いて除去します。損傷箇所は補強し、必要に応じて欠損部を補います。

 

 

《菊唐草蒔絵文箱ふばこ》江戸時代(18~19世紀)

 

文箱とは、書状を入れる細長い箱です。全体に埃が被り汚れが付着していたため、クリーニングし、損傷箇所には処置を加えました。

 

底裏に付着した汚れは除去。目立っていた擦傷は、溶剤で希釈きしゃくした漆を使って全体を補強したため、目立たなくなりました。

 

 

《牡丹文堆もんつい朱天目台しゅてんもくだい》中国 明時代(15~16世紀)

 

「天目台」とは、「天目」という茶碗を載せる台です。本作では、漆を何度も塗り重ねて厚みを出し、そこに文様を彫り表す中国の代表的な漆芸技法である「彫漆ちょうしつ」が用いられています。最表層に朱漆しゅうるしを塗ったものは「堆朱ついしゅ」と呼ばれます。

 

ボディである木地の収縮により、各所に漆塗膜とまくの剥離や亀裂が生じていました。漆塗膜が大きく割れて剥離した酸漿ほおずきの内側と亀裂が入ったつばには、塗膜の下に麦漆むぎうるし含侵がんしんさせ、接着しました。

 

 

《刺繍遣迎二尊像(修理前)》鎌倉時代(14世紀)

 

亡き人をこの世から送り出す釈迦如来と、極楽浄土から迎えに来る阿弥陀如来の姿を刺繍で表わした作品です。写真は修理前の本作で、汚れや色糸の退色で画面全体が暗い色調になっていました。

 

昨年度までの2か年の修理で、当初の豊かな彩りが幾分か戻り、図柄が明瞭に見えるようになりました。クリーニングの際に拭き取った紙には、長年の間にまとった汚れがくっきりと映っています。

 


展示物は34点でしたが、説明が丁寧で見ごたえがありました。出品目録&鑑賞ガイドの冊子もあり、この展覧会にとても力を入れていたのが分かります。

 

 

常設展は以前見たので省略。香雪美術館を出て、国立国際美術館に向かいました。