京セラ美術館で見た「アンディ・ウォーホル・キョウト」第2章を振り返ります。
第2章 ウォーホルと日本そして京都
初来日
1956年、ウォーホルは世界一周旅行に出発します。旅程表によると、6月21日(木)~7月3日(火)までの13日間で、東京&日光→京都&奈良→熱海&箱根→東京&鎌倉→香港と、かなりのハードスケジュール。
しかし旅程表は出国前に作成したもので、たびたび変更もあったよう。例えば6月25日(月)~28日(木)に予定していた京都旅行。ウォーホルが母親に宛てた葉書の消印から、6月24日(日)の時点で京都に滞在していた事が判明しています。
《葉書表面》
《葉書裏面》
1956年京都の旅は、都ホテルの他、平安神宮・清水寺・北野天満宮・三十三間堂・桂離宮・龍安寺・京都御所などを回ったそう。
若きウォーホルは、この旅行をスケッチブックに記録し、旅のパートナーであるチャールズ・リザンビーは、観光名所、とりわけ京都のシーンを写真に収めました。
《京都(舞妓)1956年7月3日》
《京都(清水寺)1956年7月25日》
《京都(巡業)1956年7月25日》
《京都(僧侶)1956年7月25日》
タイムカプセル
壮大なコンセプチュアルアートとも言えるウォーホルのタイムカプセル。1987年に亡くなるまで、手紙や写真、パンフレットやチケットの半券などあらゆるものを収集し、1箱あたり平均して500点以上、610個の段ボール箱に保管しました。
《1956年東京観光の集合写真》
《1956年京都観光のパンフレット》
《1956年、日本郵便が発行した税関告知書》
《1958年、日本食レストランの請求明細書》
再来日
世界一周旅行で日本に魅了されたウォーホルは、その後1974年にも日本を訪れ、その豊かな文化に影響を受けました。
《アンディ・ウォーホルとフレッド・ヒューズ》
《天ぷらを食べるアンディ・ウォーホルとフレッド・ヒューズ》
《「11PM」セットでのアンディ・ウォーホルとフレッド・ヒューズ》
《「11PM」セットでのアンディ・ウォーホルと黒柳徹子》
《京都市内を散策するアンディ・ウォーホル》
《桂離宮を訪れるアンディ・ウォーホル》
生け花
花のモチーフはウォーホルの作品に頻繁に登場します。ニューヨークや日本で日本文化に接していたウォーホルは、芸術表現としての生け花にも馴染みがありました。
《書籍(フラワーアレンジメント》
《静物(花)》1973年頃
《静物(花)》1984年
エンパイア
ウォーホルは、日本も出展した1964年のニューヨーク万国博覧会に、ニューヨーク州パビリオンの展示作家の一人として参加し、映画《エンパイア》を出品しました。
エンパイアは、当時ニューヨークで最も有名だった超高層ビル。日没の8時頃から深夜2時半までの6時間にわたって撮影した大作で、映画初上映の際には、スローモーションで再生され、全体の上映時間は8時間強かかったと言われています。
生け花シリーズ
その10年後の1974年、ウォーホルは日本から制作依頼を受けて生け花のシリーズを手がけます。このシリーズは、当時の他の作品と異なり、1950年代の商業イラストレーター時代のスタイルによる手彩色が施されていました。
《花(手彩色)》1974年
「キク」シリーズ
1983年には、再び日本から制作依頼を受けて「キク」シリーズを手がけました。日本を象徴する菊の花を選んだことにも、日本文化に対するウォーホルの関心が見て取れます。
《着物》1983年
木版画
1985年にウォーホルが制作した広告《理由なき反抗(ジェームズ・ディーン)》は、木版画作品です。ウォーホルは日本の浮世絵に関心があり、中でも葛飾北斎(1760~1849)に敬意を払っていました。
1980~87年に描いた《神奈川沖浪浦(北斎に倣って)》は、北斎の大波図《神奈川沖浪裏》からの引用です。
1986年制作の《波》。北斎びっくりの作品ですね。この時、既にウォーホルはポップアーティストとして活躍していました。
つづく