BBプラザ美術館で見た「中辻悦子 起・承・転・転」の続きです。
展示室にアンティークなグランドピアノ。人形のためのミニオペラ『ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン伯爵夫人』に関する展示でした。
『ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン伯爵夫人』は、フランスの作曲家エリック・サティ(1866~1925)の死後、彼の部屋から発見された操り人形による3幕のミニオペラ。
ブラバン生まれの聖女ジュヌヴィエーヴの悲劇の生涯を描いた内容で、1899年頃の作品と推定されます。
台本は、詩人のJ.P.コンタミーヌ・ド・ラトゥール(1867~1926)。1926年にシャンゼリゼ劇場で催されたサティ追悼フェスティバルで初演されました。
日本での初演は、秋山邦晴の企画により、渋谷のジァン・ジァンでの「エリック・サティ連続演奏会第11回」の1978年1月17~19日までの3日間で、人形制作と舞台美術を中辻が担当。
同作品は1986年にパルコパートⅢでも再演されています。
展示室では、中辻が『ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン伯爵夫人(1978)』のために描いたドローイングや制作した人形を見ました。
木人
1984年の展覧会で《木人》を発表。
こちらは打ち合わせのドローイングで、窓に何点飾ればよいのかまだ定まっていないのが読み取れます。
展示は結局13点で落ち着いたよう。
展示室では、その時飾られた《木人(1984)》を見ました。
脚にピアノ線を用いるなど、『ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン伯爵夫人(1978)』からヒントを得たものと思われます。
一部、木の素材を活かした人形もありました。
《合図―eyes-》シリーズ
1982年から始まった《合図―eyes-》シリーズは、1990年代、シンプルな「人の形」や「色の形」を平面に提示するようになりました。
《マシン ドローイング(1990)》
《合図―eyes(1994)》
そのことによって、日常の無意識の中に潜む人と人との関係性、そこに眼(eyes)が加わることによって、見るものと見られるものの関係性を「合図」として表現しているようにも思えます。
《合図―eyes―水色・空色(1997)》
1998年、《合図―eyes-融合2》で、第12回現代版画コンクール展大賞を受賞。中辻は自身の作品について、次のように語っています。
「私の作品は、ひとがたではあっても、人形という特定の性格をもつものではない。(中略)見る、見られるの関係のなかに、新しい世界、新しい感覚が生れる気がする。目は心の窓、とも言いますしね。」
中辻の「ひとがた」は、それ自身、情念を持たない。「目」は、それ自身、眼差しを持たない。その「ひとがた」との関係性を創っていくのは、私たち自身に委ねられているのです。
《合図ーeyesー張力(白・黄色・水色)(1998)》
2000年代になると、作品から眼が消え、やがて頭まで描かなくなりました。展示室には、眼がなくてもあるように見える、頭がなくてもあるように見える、そんな不思議な作品が並びます。
《合図―ひと・くろ・かたち(2003)》
《合図―eyes-ひと、かたち(2005)》
《作品(2006)》
《作品(2017)》
現在の作品
最後に、ここ数年間で制作された作品を見ました。《作品(2021~22)》は、《合図ーeyesー》シリーズを立体化したような作品。《木人(1984)》の再来を感じさせます。
次は《作品(2022)》。下半身が消えてしまいましたが、今後の「ひとがた」はどうなっていくのでしょう?
圧巻だったのが、この展覧会のために制作されたインスタレーション作品。
木組みの円盤がUFOの輪のよう。
天井から吊るされた「ひとがた」が、宇宙人のように見えます。
展覧会のタイトルも「起・承・転・結」じゃなくて「起・承・転・転」。御年85歳なのに、これからも新しいものを生み出していこうという気迫が伝わってきました。
展示室の外に最新の《ポコ・ピン(2022)》。なんだか人形劇のワンシーンのよう。実は中辻さん、絵本作家としても活躍しています。
1999年、谷川俊太郎(1931~)作『よるのようちえん(1998)』で、第17回ブラティスラヴァ世界絵本原画展グランプリを受賞。2015年には、兵庫県文化賞を受賞しました。
今回は、グラフィックデザイナーとしての中辻さん、造形作家としての中辻さんを見てきました。
またいつか、絵本作家としての中辻さんも見てみたいです。
おわり