GUTAI 分化と統合(分化編)② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

1月9日(月)大阪中之島美術館で見た「GUTAIー分化と統合」の続きです。

 

 

  合流メンバーの作品

 

1955年、具体美術協会のメンバーの新制作協会出展をきっかけに、0会出身の白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子らが合流。同年、元永定正が参加した。

 

 

元永もとなが定正さだまさ(1922~2011)

 

《作品(1964)》

『私は世界の言葉はほとんど分からない。しかし人類なら誰でも分かり合える言葉を作品として生み出そう。そして世界の誰かが作った流行には関係なく新しい流行の素となる作品を、私自身が作り出してやろうかと密かに爪を研いでいる。』

 

 

《作品(水)(1956/2022)》

ビニールと着色した水とを素材にした《水》。《水》には幾つかのインスタレーションがあるが、それらは色水が光を透過させる美しさ、水の重みによってつくられるビニールの形の面白さによって注目を集めた。こうした作品を見た吉原治良は「世界で初めての水の彫刻」と評したという。

 

 

白髪しらが一雄かずお(1924~2008)

 

《ミスター ステラ(1958)》

『最初からなぜ自分を自由な立場に置けないのであろうか、裸の自分から出発すれば何も起こらない、創造性は責任ある自己の資質の正直な表現だけある。しかも強い資質は創造性によってしか鍛えられない。』

 

 

《天暴星両頭蛇(1962)》

『私の言う資質とは、今まで個性と言われてきたような後天的に発展のない弱いものではなく、もって生まれた肉体を土台として、生存する中に獲得された肉体と精神の統合された状態のものを指すのである。』

 

 

村上三郎(1925~1996)

 

《あらゆる風景(1956/93)》

1955年の第1回具体美術展で、ハトロン紙を体当たりで突き破る作品、通称《紙破り》を発表。以降、この《紙破り》は村上の代名詞ともいえる作品となった。

 

 

《作品(1959)》

50年代から60年代にかけては、パフォーマンス的要素をもつ作品とあわせ、強烈なストロークで描かれた大型のタブローなどを発表し、平面作品での表現を追求していった。

 

 

鷲見すみ康夫(1925~2015)

 

《作品(1961)》

『汚い芸術はあり得ないということは無いと思う。私には汚いほど良い。美しいものばかりを追うことは面白くない表面的な美ではないだろうか。(中略)私には汚い作品こと自分の奥底に潜む精神の表情かもしれない。』

 

 

田中敦子(1932~2005)

 

《作品(ベル)(1955/2000)》

約40mの長さの電気コードに等間隔に配置された20個のベルが、足元から順に鳴り響くという作品。観客がスイッチを押すと足元近くのベルが鳴り、それが展示室の奥の方へと順に移動していって再び近くへ戻ってくる仕組みになっていた。

 

 

《電気服(1956/86)》

9色の合成エナメル塗料で塗り分けられた多彩な管球約100個と電球約80個によって構成される作品。田中はネオンサインに照らされる大阪の街の薬の広告を見て、この作品のインスピレーションを得た。

 

 

1957年に開催された「舞台を使用する具体美術」展では、《電気服》を田中が実際に着用するというパフォーマンスを行い、話題になった。

 


  具体美術協会後期メンバー

 

1960年代になるとヨシダミノル、今中クミ子、向井修二、松谷武判、前川強、堀尾貞治ら新しい世代が登場し、光や動きを取り入れたライトアートやキネティックアートの導入など、それまでとは違った方向性を見せることになる。

 

 

前川つよし(1936~)

 

《麻・白(1963)》

『何て言うか、素朴な感じというか。魅力を感じていまして。なんとか生かしたいと。そのまま貼るのじゃなく接着剤で固めて、好きな形にして行くというのがこれのやり方なのです。』

 

 

松谷まつたに武判たけさだ(1937~)

 

《繁殖65-24(1965)》

1960年、戦後間もなく開発されたビニール系接着剤を使い、物質そのものが形作る有機的なフォルムを取り入れたレリーフ状の作品を発表。画面の上に膨らんだり垂れたりしている官能的な形と質感は、新しい絵画の可能性を示すものとして高く評価され、吉原治良に認められて具体美術協会のメンバーとして制作を開始した。

 

 

堀尾貞治さだはる(1939~2018)

 

《作品(1967)》

三菱重工業神戸造船所に勤める傍ら、1950年代半ばから創作活動を開始する。65年から具体美術展に出品、66年具体美術協会会員となり具体解散まで出品を続けた。

 

 

向井修二(1940~)

 

《無題(1961)》

『その記号で浸食された物々は、もとの物のもつ外観の多様性(価値、用途、その他)とは全く関係のない、均一化した別の無意味な物に変わってしまうのです。』

 

 

『私たちは、それぞれの最もらしい意味を持った物々が好む好まざるとに関わらず、対比し存在している世界を、私の行為によって、無意味な世界に変えてしまう。私は、その無意味な世界こそが現代にとって必要だと思うのです。』

 

 

《UNTITLED(1964)》

『私の頭の中は記号だらけ、耳から鼻から目から記号がはみだしている。はみ出した記号を器物になすりつけ、作品ができる。』

 

 

《アバター1,2,3,4,5(2022)》

『記号だらけの部屋で記号だらけの家具に囲まれて記号のように聞こえるモダン・ジャズでも聞きながら、タバコを吸い食事をする。靴・衣類・時計・電気製品・食物・その他の物にはすべての記号が描かれている。』

 

 

『その時記号だらけの犬が入ってきた。私の生活はざっとこのようなものである。今度はビルやら山やら空やら空気やら言葉やら、地球も宇宙もすべて向井式記号落書きをしてしまいたい。』

 

 

《記号化されたトイレ(2022)》

『むずがゆくなるほめ言葉やピントはずれの意見を聞くと「物質の外観のもつ多様性を記号で埋めたことによって、均一化した別の世界を創り、物質と私との違和感を無くしたい」といった私の概念が苦々しくさえ思えてくる。』

 

 

『ただ「よくまあこれだけ画きこんだ」と言いたげにそこいらを見回しているお客の姿を見ると記号の世界に飛び込んだ人間という名の記号がとどまっているようで面白い光景だ。』

 

 

今井祝雄のりお(1946~)

 

《白のセレモニー HOLES#5(1966~)》

『壁に落ちる影なんか含めて作品というか、壁にインスタレーションをする感覚だったんですね。写真には残っていないのですが、会期途中から作品の1点を床に置いて、ライトを横から当てて回転させたんです。光が当たると向こうの壁に起伏の波みたいな感じで影が動くんですね。

 

 

  インターナショナル・スカイ・フェスティバル

 

インターナショナル・スカイ・フェスティバルは、1960年に具体が大阪なんば髙島屋の屋上で実施したイベントです。具体の会員や海外の作家による下絵を拡大して描き、アドバルーンに吊って空中に展示しました。

 

 

私は見なかったのですが、2022年11月15日(火)~20日(日)に、大阪中之島美術館の屋上で再現展示を実施したそう。


 

 

展示室では、7球のアドバルーンのうち、元「具体美術協会」会員の向井修二、松谷武判、今井祝雄の作品を見ました。

 

 

過激なパフォーマンスのイメージが強い「具体」ですが、仏批評家ミシェル・タピエ(1909~1987)氏に「抽象絵画の団体」として紹介されてしまった事で、以後の活動は平面作品が中心になったそう。

 

 

  最後に

 

展示室を出た所に、向井修二のアバター人形があり、自由に落書きしても良いとのこと。

 

 

1月9日(月)は展覧会最終日だったので、アバター人形の落書きは背中までびっしり。書く余地がありませんでした。

 

 

大阪中之島美術館のGUTAI展は、立体作品やインスタレーション作品がたくさんあり、期待以上でした。同時開催されていたロートレックとミュシャ展より面白かったです。

 

 

当初GUTAI展は大阪中之島美術館だけ見ようと考えていましたが、中途半端になりそうなので、国立国際美術館の展示も見ました。次回そのことを記事にします。

 

 

つづく