ロートレックとミュシャ③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大阪中之島美術館で見たロートレックとミュシャ展の続きです。

 

 

  Chapter3:1898年から1900年 ロートレックは最後のポスター、ミュシャはパリ時代のピークへ。

 

《概要》

この頃から健康状態が悪化していったロートレックは、ドローイングに力を注ぐようになり、最後とされるポスター《学生たちの舞踏会》もドローイングで提案されました。

 

 

一方ミュシャは、1900年開催のパリ万国博覧会でオーストラリア館、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館で大いに活躍します。この万博への貢献によって、フランツ・ヨーゼフ1世勲爵士に任じられるという名誉を受けることになりました。

 

 

《Chapter3で見たロートレック作品》

 

ロートレック《ジャヌ・アヴリル(ヘビ模様のドレス)》1899年

ロートレックが最も好んだモデル、ジャヌアグリル自身による発注で制作された石版画ポスターである。アドリアーニによれば、1899年初頭に発注を受けたとされる。この年ロートレックは、ヌヌイの療養所に3ヶ月間入院しており、退院後監視人ともに過ごした後、秋になってパリに戻り、本作が制作された。本作は最晩年の代表作。

 

 

ロートレック《ジプシー女》1899年

石版画によるロートレック最後のポスター。モデルとなった女性は女優マルト・ムロで、アルフレッド・ナタンソンの妻でもあった。

 

 

ロートレック《学生達の舞踏会(文字のないステート)》1900年

ロートレック最後のポスター作品。ロートレックは晩年に近づくにつれ、石版画より素描に向かったと指摘される。このポスターもドローイングで提案され、後に文字が付け加えられて印刷された。

 

 

《Chapter3で見たミュシャ作品》

 

ミュシャ《ジョブ(1898年)》1898年

ミュシャによる二作目の煙草巻紙「ジョブ」を宣伝するポスターで、前作より大判なもの。女性の巻き髪はさらに渦巻き、アール・ヌーヴォーの典型的な様式を示す。

 

 

ミュシャ《ダンス(連作『四芸術』より)1898年

《詩》《ダンス》《絵画》《音楽》の4作からなる連作「四芸術」のうち《ダンス》の下絵。試し刷りのリトグラフに水彩絵具が重ねられている。

 

 

ミュシャ《絵画(連作『四芸術』より)1898年

《詩》《ダンス》《絵画》《音楽》の4作からなる連作「四芸術」のうち《絵画》の下絵。

 

 

ミュシャ《三季節》1898年

春、夏/秋、冬の三つの季節を一枚の石版画にした作品。冬の女神の描写は《冬(連作『四季』より)》に似る。

 

 

ミュシャ《ウェイヴァリー自転車》1898年

アメリカを本拠地とする自転車製造会社のためのポスター。「ウェイヴァリー自転車 フランス社長 ハリー・レイノウ」の文字。

 

 

ミュシャ《ベネディクティン》1898年

ベネディクト会修道士が最初に発明したハーブ入りのブランデーをベースとするリキュール「ベネディクティン酒」を宣伝するポスター。「ベネディクティン酒 修道院の フェカン地方の」の文字。

 

 

ミュシャ《1899年カレンダー『四季』》1899年

装飾パネルのための連作《四季》に三か月毎の日付のついたカレンダー。同様のカレンダーが他のデザインでもあり、当時から人気のあったことがうかがえる。

 

 

ミュシャ《ハムレット》1899年

サラ・ベルナールが男役ハムレットを演じた際の告知ポスター。「ハムレットの悲劇的物語 デンマーク王子 サラ・ベルナール主演 サラ・ベルナール劇場」の文字。

 

 

ミュシャ《グランクレマンインペリアル》1899年

モエ・エ・シャンドン社のシャンペンを宣伝するポスター。ブルーや緑を基調とし、くすんだ薄緑を金色のインクと合わせることで深みを増している。「モエ・エ・シャンドン社 グラン・クレマン・インペリアル」の文字。

 

 

ミュシャ《ホワイトスターシャンペン》1899年

先ほどの《グランクレマンインペリアル》と対になる広告で、ピンク、イエローなど明るい色調による作品。薄緑色のベースとピンクゴールドのインクを合わせている。「モエ・エ・シャンドン社 ホワイトスター・シャンペン」の文字。

 

 

ミュシャ《ボスニアヘルツェゴビナ館》1900年

ミュシャが壁画を手がけた1900年のパリ万博、ボスニア・ヘルツェゴビナ館の外観をミュシャが前年の1899年に水彩画で描いたものを元にした印刷物。民族衣装を着た人々の姿を丁寧に描いている。

 

 

ミュシャ《演劇『鷲の子』》1900年

サラ・ベルナールが王子に扮した演劇の宣伝ポスター。6年間にわたるサラとの専属契約が切れる最後の年に制作された。サラはミュシャを高く評価しており、契約更新を行わなかったのは、ミュシャがこれからスラブ民族として、祖国のための芸術を制作していこうという決意を理解し共感したからではなかったのだろうか。

 

 

ミュシャ《花》1900年

《バラ》《アイリス》《カーネーション》《ユリ》の四つの花の女神による4枚の連作《『花』1897》を一枚にまとめた作品。

 

 

ミュシャ《ルフェーヴル=ユティルのゴーフル》1900年

ビスケット会社「ルフェーヴル=ユティル」から、ミュシャはそのポスターのみならず、包装箱、包装缶にいたるまで、いくつものバージョンに携わっている。長い巻き髪の女性像やルフェーヴル=ユティルの文字、背景の縁取りなどに、アール・ヌーヴォー様式の典型が見られる。金色のインクも効果的に使われ、趣向をこらした印刷である。

 

 

ミュシャ《ビスケットラベル「ルフェーヴル=ユティル」》1900年

《ビスケットと食前酒を手にした婦人》の下絵を元にしたと思われるイラストのパッケージで、手前の右側を向いた女性がそれにあたる。パッケージにはさまざまな絵柄があったが、この絵柄の初版は1900年。以後、長く愛用されたパッケージである。

 

 

ミュシャ《ビスケットと食前酒を手にした婦人》1900年頃

ビスケットの会社「ルフェーヴル=ユティル」社の包装箱のための下絵。制作年の表記はないが、発表年やサインの形から1900年頃と推定される。

 

 

ミュシャ《春(連作『四季』より)》1900年

1900年に発表された4枚からなる装飾パネルのシリーズ。春、夏、秋、冬の女神が中央に配され、四季ごとの草花や景色を背景とする点は1896年の装飾パネルと同じだが、縁取りの追加など、より装飾的な要素が強くなり、パネルとしての完成度が高くなっている。

 

 

ミュシャ《夏(連作『四季』より)》1900年

ポピーの花に囲まれた夏の女神が描かれた作品。縁取りの左右下側に渦巻く文様や左右上側の縁取りは、春夏秋冬すべて異なる意匠を凝らしたものであるが、すべてにおいてアール・ヌーヴォー様式の特徴を顕著に表している。

 

 

ミュシャ《秋(連作『四季』より)》1900年

四作品のうち本作だけ、右下に詩「秋 一年の収穫を象徴する 夏の太陽を黄金色にした 葡萄の収穫期のテュルソスを掲げながら」が印刷されている。また本作のみ、縁の下側に「シャンブノワ印刷所 サン・ミシェル大通り66番地」のレタリングが印字されている。

 

 

ミュシャ《冬(連作『四季』より)》1900年

雪の積もる草木の中でフードと冬の衣装をまとい、こちらをじっと見ている女神の姿である。本作のみ下の縁取りに「シャンブノワ印刷所 サン・ミシェル大通り66番地」のスタンプが捺されている。

 

 

ミュシャ《アメジスト(連作『四つの宝石』より)》1900年

《トパーズ》《ルビー》《エメラルド》と合わせ、4枚からなる装飾パネル《連作『四つの宝石』》のうちの一枚《アメジスト》の下絵となったドローイング。

 

 

今日はここまで。Chapter4に続きます。