お待たせしました。
既に会期は過ぎていますが…。大阪中之島美術館で見た「ロートレックとミュシャ パリの時代の10年」を振り返ります。
以下の文章は、美術館のHPから引用しました。
本展は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1894~1901)とアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)が芸術の都パリで活躍した1891年から1900年までの10年間に焦点を当て、二人が共通して取り組んだ石版画ポスターを中心に紹介する展覧会。
Chapter1:1891年から1894年《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》発表から《ジスモンダ》誕生まで
<概要>
ロートレックは1891年10月、カフェ・コンセール(ダンスホール兼コンサートホール)のためのポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》を発表、高い評価を得て、これを機に石版画(リトグラフ)に打ち込んでいくことになります。
同時期、挿絵画家として活動していたミュシャは、1894年のクリスマスシーズンに依頼を受け、劇場ポスター《ジスモンダ》を制作、大評判となりました。奇遇にも、二人とも第1号ポスターによって時代の寵児となったのです。
<Chapter1で見たロートレック作品>
ロートレック《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ(第2ステート)》1891年
画面下側に「コンサートと舞踏会は毎晩/水曜日と土曜日は仮面舞踏会」の印刷があるバージョン。紙は3枚継いであり、画面上部にムーラン・ルージュの文字は3回反復されている。
ロートレック《首吊り(第1ステート)》1892年
暗い画面に首を吊った人物が浮かび上がる衝撃的な版画。A.シエジェルの小説『トゥールーズの惨劇』宣伝用に制作された。
ロートレック《悦楽の女王》 1892年
「ヴィクトール・ジョズによる 悦楽の女王 すべての書店で」の文字。明るいオリーブグリーンを基板にした。
ロートレック《アンバサドゥール、アリスティド・ブリュアン》 1892年
モンマルトルのミルリトンを中心に活動していた歌手アリスティド・ブリュアンが、セーヌ川近くのキャバレー、アンバサドゥールに初出演する際、制作されたポスター。
ロートレック《エルドラド、アリスティッド・ブリュアン》1892年
ストラスブール大通りにあったエルドラドに、ブリュアンの出演が決まった際制作されたポスター。人物は《アンバサドゥール》を反転。「そのキャバレーのアリスティド・ブリュアン」の文言が使い回されている。
ロートレック《ディヴァン・ジャポネ》1892~93年
「日本の長椅子」という名前のカフェ・コンセールのために制作されたポスター。中央にジャヌ・アヴリル、その右横に音楽評論家のエドゥアール・デュジャルダン、奥に黒い手袋が特徴のイヴェット・ギルベールが描かれている。
ロートレック《『レスタンプ・オリジナル』の表紙》1893年
ロートレックお気に入りの老刷り師コテルが石版画印刷機に向かっている。脇に同じくお気に入りのモデル、ジャヌ・アヴリルが刷り上がりを確認している。
ロートレック《ジャヌ・アヴリル》 1893年
ジャヌ・アヴリルのジャルダン・ド・パリへの初出演を告知するためのポスター。前景のコントラバスのネックが延びて画面の縁取りとなり、踊り子を際立たせる。
ロートレック《コーデュー》1893年
右下にT-Lを円で囲み、間にHも浮かび上がらせた円形のモノグラム(組み合わせ文字)。作家のサインも左下にある。コーデューは喜劇役者で、エルドラドやアンバサドゥールに出演することがあった。
ロートレック《処刑台の下で》1893年
処刑台まで付き添った教誨師フォール神父の回想録『処刑台の下』の新聞連載開始の宣伝広告。シルクハットの男の平常性と、その手が置かれた受刑者の血色の悪い引きつった表情との対比が鮮烈である。
ロートレック《キャバレーのアリスティッド・ブリュアン》1893年
《アンバサドゥール》や《エドラルド》と同じく、「アリスティド・ブリュアン そのキャバレーで」の文字。左下に円形のモノグラムとサイン。オリーブグリーンの基板。
ロートレック《アリスティッド・ブリュアン(第4ステート)》 1893年
アドリア―二が第4ステートに、ウィトロックがCに位置付けたバージョン。「第12号 ブリュア スタンランによる挿絵 新刊 発売中 すべての書店で ミルリトンで」の文言がある。
ロートレック《ドイツのバビロン(第2ステート)》1894年
「ドイツのバビロン ヴィクトール・ジョズ作 すべての書店で」の文字。左下に「ベルリンの風俗」の文字。その横にロートレックのモノグラムとサイン、年記の印刷。左端に印刷所の名前と住所。
ロートレック《紙吹雪》 1894年
イギリスの製紙会社から依頼を受けた紙吹雪の宣伝ポスター。「紙吹雪 J.&E. ベラ社 製造 チャーリング・クロス通り113番地 ロンドン WC.」の文字がある。
<Chapter1で見たミュシャ作品>
ミュシャ《書籍『白い象の伝説』(第2章)挿絵》1894年
ミュシャ《書籍『白い象の伝説』(第3章) 挿絵》1894年
ミュシャ《書籍『白い象の伝説』(第10章) 挿絵》1894年
ミュシャ《書籍『白い象の伝説』》1894年
ミュシャの初期の傑作が書籍『白い象の伝説』の挿絵の仕事である。著者はジュディット・ゴーティエ。扉絵などの装飾はピエール・ル―ティ。1893年9月から94年1月に『ル・プティ・フランセ・イリュストレ』誌に連載された後、書籍として出版された。
ミュシャ《書籍『ドイツ史の諸場面とエピソード』挿絵》1896年
聖ピエール教会での戦いの場面。ミュシャによる構図と下絵との説明書きがある。本書籍の挿絵は、群像表現が高く評価された。
ミュシャ《書籍『ドイツ史の諸場面とエピソード』挿絵》1896年
マグデブルグの略奪の場面。建築内部の装飾、折り重なる人物の細密描写には目を見張るものがある。
ミュシャ《書籍『ドイツ史の諸場面とエピソード』挿絵》1896年
ミュシャが1892年から挿絵を手がけ、1896年に出版された書籍『ドイツ史の諸場面とエピソード』。著者はフランスの歴史家シャルル・セニョボス。
ミュシャ《ジスモンダ》1894年
サラ・ベルナールが涙を流して喜び、これを機に6年間契約を結ぶこととなった傑作。ミュシャの第1号石版画ポスターで、サラ・ベルナールがルネサンス劇場で演じたアテネを舞台とした演劇のためのポスター。ゴシック様式のアーチを背景に立つジスモンダ女王の姿が神々しい。
ミュシャ《『ル・ゴロワ』誌》1894年
1894年10月30日に初演された舞台「ジスモンダ」を紹介する記事が掲載された雑誌。表紙はサラ・ベルナール。あらすじとミュシャのカラー挿絵が掲載された。
今日はここまで。Chapter2に続きます。