美術館「えき」で開催中の展覧会「すべては、音楽のおかげ 平間至 写真展」の続きです。
平間至は、1963年、宮城県塩竃市に祖父が開業した写真館に生まれました。
クラシック音楽愛好家だった祖父、父の影響で、音楽に親しんでいた平間氏にとって強烈な原体験となったのが、小学生の頃、初めて聴いたオーケストラの生演奏。その衝撃は、「後から考えると"ロックに通じるグルーヴ感"だった」と言います。
10代でパンクロックの洗礼を受け、写真家として独自の世界観を作り上げていく背景には、常にジャンルを超えた音楽が通奏低音として流れていました。
日本大学芸術学部写真学科を卒業後、写真家・伊島薫(1954-)に師事。躍動感のあるポートレートや、画面から音楽が聞こえてくるような作品により、多くのミュージシャン撮影を手掛けます。
1990年から4年間で撮った写真を集めて、1995年に写真集『MOTOR DRIVE』を出版。これをきっかけに、平間至の名は一躍世に知れ渡りました。
1996年からTOWER RECORDSのコーポレイト・ボイスである、「NO MUSIC, NO LIFE?」のポスター撮影を手掛けている事は、前回お話したとおりです。
2007年より、舞踊家の田中泯(1945-)の場踊りシリーズをライフワークとし、世界との一体感を感じさせるような作品制作を追求。
日常に存在するあらゆる場で固有の踊りを即興で踊るという実践的アプローチは、平間氏の撮る写真に通じるものがあります。
2008年より塩竈フォトフェスティバルを企画。2011年の東日本大震災を契機に写真館の再生を決意します。
その翌年から、音楽フェスティバル「GAMA ROCK FES」の運営に携わるなど、自身の故郷、塩竈を含めた復興支援の活動を開始。
2014年3月、鎮魂の意味を込めて、塩竃のひらま写真館で写真展「光景」を開催。舞踊家の田中泯をに招き、その「場踊り」を撮影した『last movement』のシリーズなどから12点を展示しました。
同時に、塩竈で撮影した写真を中心に新作を発表。そこでは、深く沈んだ悲しみから少しずつ光が当たっていく感覚を表現しました。
2015年1月、東京世田谷に平間写真館TOKYOをオープン。携帯電話の中にもカメラが内蔵された時代になったからこそ、改めて写真の大切さを伝えていきたいと述べています。
例えばこの写真。年賀状で家族が増えたことを報告するために撮ったものでしょうか?最高の笑顔が引き出されていて、とても幸せそうに見えます。
そして4月12日(火)。これまでの活動を振り返る写真集『Thank you for the photographs!』が発売されました。
そう、今回の写真展は、この写真集発売を記念した展覧会だったのです!
展示室外の写真も新しい写真集に収められたもの。この写真といいポスターの写真といい、誰をモデルにしたのでしょう?そんなことを考えながら、美術館「えき」を出ました。
おわり