先日の続き。
特別展の後は最上階(5階)へ。
エレベーターが開いた瞬間、目の前に開ける光の庭。ビルの中とは思えない不思議な空間。奥には茶室があります。
床の間に掛けられているのは、村上華岳(1888-1939)作「太子樹下禅那図(1938)」。菩提樹の下の若き日の釈迦の姿を描いた作品で、何必館館長の梶川芳友(1941-)氏が美術の道に進むきっかけとなった作品だとか。
また、女優の樹木希林(1943-2018)さんは、生前この空間を愛し、京都を訪れるたびに立ち寄り、長い時間絵を眺めていたそう。
腰掛待合に掲げられているのは、北大路魯山人(1883-1959)の書で「行高於人 衆必非之(1940)」。
「高きを行く人に於いては衆は必ず之を非る」と読み、「崇高な世界を目指す人を、世間の人々は非難する。」と、残念な意味をもつ言葉。
魯山人は、母の不貞により出来た子で、それを忌んだ父が割腹自殺をしたとか、生後里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで家を転々としたとか、6度の結婚はすべて破綻、2人の男児は夭折、娘を溺愛したものの、魯山人の骨董品を持ち出した事に激怒して勘当したとか、壮絶な人生を送ったよう。
地下1階に降り、魯山人の作品を見ました。
晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた魯山人。展示の作品も分業でなく、一人で全ての工程を担ったものと思われます。
《つばき鉢(1938)》
数年前に姫路市立美術館で川端康成(1899-1972)のコレクション展を見て一目惚れした作品。日用品なので、世界に一つではないはず。展覧会のチラシにも採用されていて、魯山人のシンボルとも言える作品です。
《双魚絵平鉢 (1935)》
水を張ると2匹のメダカが泳いでいるように見える不思議な器。紅葉を添えたのは館長の演出です。
《桃山風椀 (1944)》
もしもこの器を初めから最後まで一人で作ったとしたら、すごいですね。機械で作ったような精巧さです。
《玄遠(1955)》
玄遠とは深みがあること。魯山人が目指した芸術の境地。書から志が伝わってきます。
《備前旅枕花入 (1958)》
椿を挿したのは館長の演出。備前焼の色合いが素敵。あたかも地面に生えているかのようです。
何必館は館長のこだわりが詰まった美術館。魯山人の作品が常設なのも、魯山人に対して何か特別な思い入れがあるのでしょう。
おわり