7月22日(木)、半年ぶりの京セラ美術館。
チケット売場でフランソワ・ポンポン展の当日券(1800円)を購入。
上村松園やドラえもん展も同時開催で、人の流れが右往左往していました。
らせん階段を昇って2階へ。どうやら私は、「日本初の回顧展」というキャッチフレーズに弱いよう。
展示室では、フランソワ・ポンポンの作品を時系列で見ました。以下、展覧会の内容です。
ポンポンの生涯
フランソワ・ポンポンは、1855年にフランス・ブルゴーニュ地方のソーリューに生まれ、ディジョンの大理石職人の見習いとして働きながら美術学校の夜間課程に通い、彫刻の基礎を学びました。
1876年、21歳の頃、彫刻家を目指してパリに出ます。国立美術学校エコール・デ・ボザールの夜間課程に在籍しつつ、昼間は大理石職人として働きました。
1879年、23歳。コゼット(ヴィクトル・ユーゴーの小説レ・ミゼラブルの登場人物)の彫像がサロンで好評を得て、念願の彫刻家としてのデビューを果たします。
その後結婚し、一家の大黒柱になったポンポン。生計を立てるため、他の彫刻家の助手の仕事を数多くこなしていくうちに、自分のスタイルを見失ってしまったのです。
しかし、1890年代に入る頃、学生時代の友人であったピエール・ルイ・ルイヤールの作る彫刻に励起され、動物彫刻を手がけるようになりました。
また、エジプト美術や日本美術に興味をもったポンポンは、そのシンプルながらも神聖さあふれるスタイルに感銘し、彫刻からリアリズムを廃し、単純化を試みるようになっていきます。
これに前後して、ロダン(1840-1917)の工房にも出入りするようになり、その助手を続けながら様々な彫刻作品に触れ、自らの作風を確立していきました。
1917年、最晩年にして独立。リュクサンブール美術館が「山鳩」の彫刻を購入したのを皮切りに人気を集め、1922年、67歳にして「シロクマ」をサロン(官展)に出品します。
この「シロクマ」が高い評価を受け、愛好者向けに作られた卓上サイズの作品は、アール・デコ様式の室内に調和する動物彫刻として人気を博しました。
ポンポンは独立してから亡くなる1933年までの10年で多くの作品を製作しました。その単純化された独特なラインを持った彫刻で、モダニズムの頂点を極めたのです。
ポンポンの作品
群馬県立館林美術館所蔵の「《シロクマ》(1923-33)/大理石」と「《ヒグマ》(1918-26)/ブロンズ」のみ、撮影可能でした。
他、次のような作品を見ました。
《ほろほろ鳥》(1910-12)/ブロンズ/群馬県館林美術館蔵
《牝豚》(1918)/ブロンズ/群馬県館林美術館蔵
《鳩「ニコラ」》(1926-27)/石膏/群馬県館林美術館蔵
《キリン》(1906-29)/ブロンズ/ディジョン美術館蔵(国立自然史博物館より寄託)
《ペリカン》(1924)/ブロンズ/ディジョン美術館蔵(国立自然史博物館より寄託)
《ハゲコウ》(1926)/ブロンズ/ディジョン美術館蔵(国立自然史博物館より寄託)
《錦鶏「キンケイ」》(1933)/真鍮/ディジョン美術館蔵(国立自然史博物館より寄託)
《ワシミミズク》(1927-30)/ブロンズ/オルセー美術館蔵
展示室を出た所にもシロクマ。
どの作品もツルツルで、触ってみたい衝動を抑えるのが大変でした。