今日は、福田美術館で見た「美人のすべてリターンズ」から、第1章「美人画の競演~松園を中心に」を振り返ります。
美人画と上村松園
美人画とは、容姿や装い、あるいは感情の動きや内面から醸し出される美しさなど、さまざまな観点から女性の魅力を描いた絵画のことです。
特に明治40年(1907)、第1回文部省美術展覧会(文展)が開催されて以降、美人画は日本画の重要なジャンルの一つとなりました。その中で頭角を現したのが上村松園(1875-1949)です。
松園は京都に生まれ、はじめ鈴木松年に、その後、幸野楳嶺や竹内栖鳳に師事。生涯にわたって理想の女性美を追い求めました。
以下、第1章で見た上村松園の作品です。作品の傾向をつかむため、制作年順に並べました。
明治20年代(1887-1896)
加賀千代図
「朝顔に つるべ取られて もらい水」で知られる江戸時代の俳人・加賀千代を松園が描き、松の木を師匠の鈴木松年が描いたとか。絵を習い始め間もない頃の作品です。
和楽之図
幼い妹を見守る二人の女性。その髪型はハイカラで、指には金の指輪が光っています。若き日の松園は、人々の装いに強い関心を寄せていました。
四季婦女
琴の稽古の手を止めて、鶯のさえずりに耳を傾ける少女。うちわを持ち、金魚を眺めている夏姿の娘。床の間に花を活け、短冊に歌をしたためる、秋草模様の着物をまとった女性。雪景色の掛け軸を見つめる女性。4人の女性を春夏秋冬になぞらえて描いた作品です。
明治30年代(1897-1906)
美人浴後図
湯上がりの女性が、鏡に時々目を走らせながら髪のほつれを整えています。女性の自然な仕草を描くために、鏡の前で自らポーズをとって工夫を重ねたという松園の研究の成果が表れた作品です。
浴後美人図
合わせ鏡に向かった婦人は化粧水を手に取って、湯上がりの肌を整えようとしています。夏の夕べ、帰宅後のひとときの様子を描いた作品です。
軽女悲離別之図
お軽は赤穂浪士を率いた大石良雄お気に入りの妾。吉良邸討ち入りを決意した大石が江戸に下る前夜、お軽は別離を悲しみながらも、激励の意を込めて箏を奏で歌いました。
明治40年代(1907-1912)
長夜
日が暮れても、若い娘は読書に夢中。読んでいるのは源氏物語です。彼女を気遣って行灯の灯芯をかきたてているのは、姉らしき年上の女性。2人とも江戸時代中頃に流行した髪型を結っていますが、表情や仕草、装いにおける年齢差が巧みに描き分けられています。
大正時代(1912-1926)
美人観月
布団の上に置かれたうちわには、「蚊帳の角 一手はずして 月見かな」という句が書かれています。従って、この女性は今しがた吊った蚊帳の金具を一箇所だけ外し、直接月を眺めているのだと分かります。
雪女
近松門左衛門「雪女五枚羽子板」を元に描かれた作品。室町幕府に使える腰元が悪人にだまされ、将軍家の太刀を盗み出した上、雪の中で命を落とすという物語です。その後、恋人の危機を救うために、雪女となって現れた姿を描きました。
昭和初期(1926-1934)
にじを見る
雨上がりの空に架かった美しい虹を楽しむ家族。青竹の床几の上で、うちわを片手にくつろぐ女性の向こうで、はしゃぐ幼子を若い女性が優しく抱いています。
月かげ
月影とは月の光のこと。中秋の頃を思わせるその光は、ひときわ明るく女性を照らし、足元に影を落としています。
花のさかづき
両兵庫と呼ばれる、蝶々のような形の髷は、位の高い遊女の証。宴の最中、酔い覚ましに外気にあたろうと、窓辺に寄ったところです。
かむろ
禿とは、位の高い遊女に仕え、身の回りの世話をした少女のこと。豇豆と呼ばれる飾り紐を結んだ振袖は、禿特有の装いです。主に付き添う道中、ひとり先を急いでしまった様子の彼女。塗りの小箱を大事そうに抱えながら振り返る姿に、少女のあどけなさが表現されています。
昭和10年代(1935-1944)
花下美人図
しだれ桜のもとを歩む女性。絹の振袖をまとい、凝った装飾のかんざしを差して華やかに装っていますが、花見気分で浮かれてはいない様子。ややうつむいて扇子をかざし、日に日に強くなる陽差しを遮りながら、過ぎゆく春を心密かに惜しんでいます。
美人詠哥図
和歌をしたためた短冊を見つめる女性が、まさにその内容を読み上げようとしているところです。女性の特徴的な髪型は、江戸時代の初め頃に、宮中の女性達が愛したもの。横長の画面に人物の上半身を大きく表すのは、松園晩年の典型的な構図です。
雨を聴く
片膝を立ててくつろいだ様子で座る女性の姿。障子越しに聞こえてくる雨音に耳を傾けています。着物の模様から季節は秋。しとしとと降る長雨を連想させます。
次は、松園と同時代に活躍した画家たち。まずは京都画壇の伊藤小坡(1877-1968)から。
花見之図
前髪や鬢は小さくまとめ、髱を後ろに突き出した髪型は、元禄年間(1688-1704)頃に流行しました。笠と大輪の桜を染めや刺繍で表した小袖も、同じ時代の好みを反映しています。
雪の朝(1948)
雪道の中、新年の挨拶に出かけた二人の女性。訪問先に着いて、傘をすぼめた女性は安堵の表情を浮かべています。振袖姿の年若い女性は、来た道を振り返りながら美しい雪景色に見とれています。
上村松園に憧れ、自らを「蕉園」と名乗った東京画壇の池田蕉園(1886-1917)。水野年方に師事し、同門の池田輝方(1883-1921)と結婚。下の作品は夫婦の合作で、向かって左が輝方筆の「紅葉」で、右が蕉園筆の「さくら狩」です。
第1回文展(1907)に出品した「もの詣で(向かって左の作品)」で三等賞を受賞。なお、その時の一等が上村松園の「長夜」で、「西の松園、東の蕉園」ともてはやされました。
長崎出身の女性画家、栗原玉葉(1883-1922)は、若い頃に洗礼を受け、主にキリスト教信仰をテーマとした絵を描きました。「のぞみ(1918年頃)」は、四つ葉のクローバーの幸運(西洋の言い伝え)を信じる女性を描いた、玉葉らしい作品です。
山川秀峰(1898-1944)は京都生まれ。池上秀畝から花鳥画を学んだ後、鏑木清方から美人画を学びました。「振袖物語(1919)」は、江戸で起こった「明暦の大火(1657)」に想を得た作品です。
菊池契月(1879-1955)は、故郷長野で南画を学び、京都で菊池芳文に師事。円山・四条派の写生風に、大和絵の手法を加えた古典的風趣の歴史人物画を描き、初期文展以来、京都画壇で指導的立場に立ちました。「初夏之庭」は円熟期の作品。細く流麗な線によって女性像を格調高く描き出しています。
最後に。
和装用語の解説まであり、とても分かりやすい展示でした。それにしても、美人画に登場する女性は髪型からして立派。モデルになった人たちは皆、華族や士族といった高貴な身分だったのでしょうか?