先日の続き。最終回です。
京博の展覧会は凝然国師没後700年を記念したもので、彫刻家の藪内佐斗司(1953-)氏が、東大寺所蔵の肖像画をモデルにして制作したという「凝然国師坐像」の展示がありました。
華厳宗の僧凝然(1240-1321)は東大寺の学僧で、インド・中国・日本にまたがる仏教史を研究してその編術を行い、日本仏教の包括的理解を追究して多くの著作を残しました。「八宗綱要」は仏教史の入門書として研究者必読となっています。
八宗綱要の構成。奈良・平安仏教八宗を小乗仏教と大乗仏教に分類し、さらに鎌倉新仏教の禅宗と浄土教について触れています。
また、江戸時代後期真言宗の僧、慈雲(1718-1805)は、雲伝神道(密教と基礎に、儒教を取り入れたもの)の開祖で、「正法律(授戒の作法)」を唱えました。
慈雲の著書「十善法語」は、十善戒の意味や内容、および功徳を説いたもので、大坂商人のバイブルになっています。
「十善戒」は、菩薩としてなすべき十の戒め。仏教における十悪を否定形にして戒律にしたもので、それらを「身業・口業・意業」に分けています。
ここで再び戒律の話に戻します。
戒律とは、仏教の中で定められている決まりごとで、信者が守らなくてはならないもの。下図は「戒」と「律」の違いを示したものです。
仏教の信者は、大きく在家と出家に分けられます。在家の信者が守るべき戒律が五戒と八戒で、出家信者だと十戒と具足戒を守りながら生活しなくてはなりません。
それぞれを細かく見ていきましょう。まずは「五戒」から。
五戒とは、在家信者が日々の生活を送る上で守るべき5箇条。ここで五戒の精神がわが国の道徳教育のもとになっている事に気づかされます。
五戒に次の4箇条を加えると「八戒」になります。追加の4項目は毎月特定の日に行うもので、月に6回なので「六斎日」と呼ばれるようになりました。なお、八戒は、9番目の「非時食戒」を含めて「八斎戒」とも呼ばれています。
八斎戒に「捉金銀宝戒」を加えると「十戒」になります。この十戒は出家信者に課されました。
さらに、僧侶になる者には250の具足戒が、尼になる者には348の具足戒が課されたのです。
具足戒には明確な罰則があり、中には永久追放になる内容もありました。女性の方が罰則も多く、仏門における男女差別はすさまじいものだったと思われます。
非常に厳しい仏教の戒律ですが、海外の仏教と比べると、日本の仏教ではやや事情が異なります。日本の仏教においては長い歴史の中で戒律が少しずつ変化してきました。
最後に、戒律に関する仏教用語について調べてみました。
六斎日
身を慎み、持戒清浄であるべき日と定められた6か日。一般に月の8日・14日・15日・23日・29日・30日をいう。特に在家では、八斎戒を守るため、これらの日に集まって犯した罪を反省し、誓いを新たにしていた。
六斎市
中世・近世において月のうち6回開かれた定期市。六斎市の呼称は、当初、仏教関係行事と関連して市が開かれたことに由来するものと考えられていたが、のちには交換経済の発達、戦国大名の市振興政策などに基づいて開かれるようになった。
戒名
厳しい戒律を守って仏門に入った人が授かる名前。時代を経て、故人の名前を指すようになった。「戒名」は、天台宗・真言宗・浄土宗・曹洞宗・臨済宗の呼び名。浄土真宗では「法名」と呼び、日蓮宗では「法号」と呼んでいる。
勧進
元来は、仏道精神に励むことが功徳になるということを人に教えて、仏道に入ることを勧めるという意味。のちに堂塔を造ったり、寺社の修理のために必要な寄付金を募ることをいうようになった。
仏教の戒律が時代とともに緩和されてきたように、仏教用語も長い歴史の中で、世俗的になってきた事が分かります。
母に頼まれ、ミュージアムショップで図録を買いました。失明し、6回目にして渡航を果たした鑑真(688-763)の話に感動した母ですが、解説文が難解でわずか数行で挫折。鑑真の仏像を見て雰囲気を味わう展覧会という結論に至りました。
会期は5月16日(日)まで。旧仏教(奈良・平安仏教)に特化した内容です。これから見に行く人は、鎌倉新仏教(浄土真宗や日蓮宗など)の視点で見ると、何の話かさっぱり分からなくなるので、気をつけてください。
おわり