2月19日(水)の散策は、大阪城公園ショーテラスから。
入口に3人の女性像。「いらっしゃいませ。」と迎えられているかのよう。
太陽の広場を抜けました。ここを歩いている人達はどこへ行くのでしょう?
警備員の方から、大阪城ホールが午前11時半に開場すると聞き、行ってみました。
これも何かのご縁でしょう。
ここで初めて、夕方からキムタクのライブがある事を知りました。
寄り道をすると目的地を見失うのが、方向音痴の辛いところ。
青屋門が見当たらず、外堀沿いを歩きました。
水辺にはおしどりの大群。どうやら鳥にも序列があるようです。
市民の森に出ました。
梅のシャワーがとっても綺麗。
お堀の端まで歩きました。ここまで来ると森ノ宮駅の方が近いよう。
梅林への階段を昇りました。
大阪城は玉造口から入城。
玉造口付近に蓮如上人袈裟懸の松があります。
史跡は石棺に納められている松の根っこ。手前の大きな松と間違える人が多いよう。
以下、案内板からの引用です。
本願寺第8代宗主、蓮如上人(1415-99)は明応5年(1496)、摂津国東成郡生玉庄内の大坂に坊舎を築きました。なお、「大坂」という地名が歴史上初めてあらわれるのは、蓮如が書いた「御文(1498)」です。
この坊舎を中心にして周囲に土居と堀を巡らせた「六町の構」といわれた寺内町が形成されました。天文元年(1532)に山科の石山本願寺が炎上。本願寺はこの地に移され、教団の中心になりました。
大坂本願寺の寺内町では、御影堂・阿弥陀堂を中心に、六町二千軒に及ぶ町屋が建ち並んでいました。たくさんの職人や商人が生活しており、当時の堺と並ぶ豊かな都市生活が繰り広げられていたと伝えられています。
やがて本願寺は織田信長と対立し、元亀元年(1570)から11年間に及ぶ「石山合戦」の後、大坂を退去し、鷺森→貝塚→天満を経て、天正19年(1591)に京都へ移転しました。
一方、豊臣秀吉は天正11年(1583)、大坂本願寺と寺内町の跡に大坂城を築城しました。この大坂城は大坂夏の陣(1615)で炎上しましたが、江戸幕府によって再建されています。
引用はここまで。
大阪城の内濠を御座船が周遊していました。それにしてもこの船、動きが速くて追うのが大変です。
梅林は満開でした。
雁木坂は桜の季節が良さげ。
大阪城公園はとても広く、梅林到着まで約1時間かかりました。