ラファエル前派の軌跡展 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 今回は昨年の秋、あべのハルカス美術館で開催していた「ラファエル前派の軌跡展」についてお話しします。

 

 

 展覧会はウィリアム・ターナー(1775-1851)の風景画から始まりました。こちらは「カレの砂浜―引き潮時の餌取り(1830)」。水彩技法を駆使した独自の表現は、クロード・モネ(1840-1926)など印象派の画家に多大な影響を与えました。

 

 

 美術評論家のジョン・ラスキン(1819-1900)はターナーを擁護し、「自然に忠実たれ」「水彩、最も美しい芸術」などの名言を残しています。

 

 

 ラスキンの美術論に共感した英ロイヤルアカデミーの学生、ダンテ・ロセッティ(1828-82)にホルマン・ハント(1827-1910)、ジョン・ミレイ(1829-96)は、1848年にラファエル前派同盟を結成します。

 

 

 3人はイタリアルネサンスの巨匠、ラファエル・サンティ(1483-1520)を推奨するアカデミーの教育に疑問を抱いていました。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)でもなく、ミケランジェロ(1475-1564)でもない。ラファエルは性格に癖が無く、教育上ふさわしい人物でした。

 

 

 こちらはラファエル晩年の傑作「システィーナの聖母(1513-14)」。サン・シスト修道院の祭壇画の一翼に描かれたものです。ラファエル前派はラファエルより前の時代(中世や初期ルネサンス期の絵画)に戻ろうとしていました。

 

 

 3人の中でも最も技術が高かったのがジョン・ミレイ。ラスキンに師事し支援も受けています。下の絵は岩石マニアだったラスキンに付き添った時に描いた「滝(1853)」です。絵の中の女性はラスキンの妻エフィー(1828-97)。後にエフィーはラスキンと離婚し、ミレイと再婚しました。

 

 

 当時女性の立場は弱く、夫を捨てた妻は世間から白眼視されました。「結婚通知―捨てられて(1854)」は苦境に立ったエフィーを描いたものです。一連の騒動の後、ミレイは中期ヴィクトリア朝社会の因襲がもたらす不幸を主題にした絵を描くようになりました。

 

 

 ロセッティは自然や中世に限界を感じ、女性の官能美を追求する象徴主義へと傾いていきます。ラファエル前派の画家のさまざまな作品でモデルをつとめたエリザベス・シダル(1829-62)を射止め、妻としモデルとし、作品を描きました。

 

 

 しかしその一方で ジェイン・バーデン(1839-1914)にも惹かれていきます。ジェインはラファエル前派の仲間、ウィリアム・モリス(1834-96)と結婚しますが、その後もロセッティはジェインを想い続け、 作品のモデルもエリザベスからジェインに移っていきました。

 

 

 こちらは古代の預言者「シビュラ・バルミフェラ(1865-70)」。

 

 

 こちらはギリシア神話の記憶の女神「ムネーモシューネー(1876-81)」。どちらもジェインをモデルにした作品です。

 

 

 夫の心変わりに心を痛めたエリザベスは、麻薬に溺れ、中毒死します。ロセッティはエリザベスの死にショックを受け、彼女の死を悼んだ「ベアタ・ベアトリクス(1864-70)」を描きました。

 

 

 3人の中でラスキンの芸術論を最後まで守ったのが、ホルマン・ハントです。こちらはアーサー王伝説に登場する「シャロットの乙女(1887-92)」。彼は聖書、伝説などに主題を求め、画面の隅々まで徹底的に描き込みました。

 

 

 ラファエル前派の思想は、1850年代初頭には広く受け入れられるようになりました。彼らと親交があった画家に、ウィリアム・ダイス(1806-64)やアーサー・ヒューズ(1832-1915)がいます。

 

 

 こちらはダイスが描いた「初めて彩色を試みる少年ティツィアーノ(1856-57)」。幼子イエスを抱くマリア像をスケッチする12歳の少年が、花に霊感を得て花汁で色付けすることを思いついたという挿話を元に描かれています。

 

 

 こちらはヒューズが描いた「リュートのひび(1861-62)」。イギリスの詩人アルフレッド・テニスン(1809-92)が書いた「マーリンとヴィヴィアン」という詩に触発されて描いた作品です。

 

 

 ラファエル前派に対し、アカデミーの伝統を守った画家にフレデリック・レイトン(1830-96)やジョージ・ワッツ(1817-1904)がいます。

 

 

 こちらはレイトンが描いた「母と子(1864-65)」。

 

 

 こちらはワッツが描いた「オルペウスとエウリュディケー(1870)」。どちらも古代ギリシアやローマ時代の神話に基づいた作品です。

 

 

 ラファエル前派は、画家のエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)や装飾美術家のウィリアム・モリス(1834-96)など、ロセッティを慕う芸術家によって第2世代へと引き継がれていきました。

 

 

 余談ですが、1857年夏、ロセッティが依頼を受けたオックスフォード・ユニオンの壁画制作に参加したモリスは、ロセッティの交際相手、ジェイン・バーデンと恋に落ち、婚約しています。

 


 こちらはバーン=ジョーンズ(1833-98)が描いた「慈悲深き騎士(1863)」。初期の傑作で、ロセッティの影響を強く受けた作品です。彼は世俗的な現実と乖離した作品で、19世紀末の英国で最も称賛される画家になりました。

 


 産業革命の結果、安価な粗悪品が大量に生産される事に批判的だったモリスは、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立します。(1875年に単独経営の「モリス商会」に改組)。中世の手仕事に憧れ、あらゆるインテリア製品を作り出しました。

 

 

 その中でも有名なのが、植物模様の壁紙やステンドグラス。生活と芸術との一致を目指すモリスの活動は、1880年代以降、アーツ・アンド・クラフツ運動に発展。今日のデザインへと引き継がれていきます。

 

 

 印象派と同じ時期に活動したラファエル前派。どちらもターナーの水彩画から発生したのに、こんなに画風が違うとは!しかも最後はデザインの話で終わり、展覧会は驚きの連続でした。