7月15日(月)海の日。高速舞子8:45発のバスで出発。洲本バスセンターで路線バスに乗り換え、由良支所前で下車しました。
洲本市役所由良支所の隣に帰りのバス停があるのを見届け、由良港沿いを歩きました。
由良港の背後にそびえ立つ成山。成ヶ島の北に位置する山で、標高52mの低山です。
乗船場をうろうろしていると、船長さんに声をかけられました。
料金所から私の様子を見ていたようです。ありがたい事に、渡し船は随時運航でした。
対岸まで100m。あっという間に着きました。
10:45成ヶ島に到着。私が乗った船は4人組の男女を拾い、乗船場に戻りました。
無人島なのに結構人がいました。学生さん達は何を採取していたのでしょうか?
毘沙門天を詣り、成山を登る事にしました。
お堂の前に咲くハマユウは、日没後、強い香りを放ち、蛾の溜まり場になるそう。
成山への登山口が見当たらず、毘沙門堂の周りをうろうろ。
裏手に周って見つけた道は、緩やかで歩きやすい道でした。
途中、テッポウユリの群落を見ました。
15分で成山山上広場に到着。昭和61年(1986)年まで国民宿舎があったらしく、どことなくその面影が残っています。
この盛り上がった山は、明治29年(1896)に開設された砲台跡でしょうか?
沖ノ島(おきのしま)と地ノ島(じのしま)を望みました。これら無人島群の総称が友ヶ島。和歌山市加太(かだ)に属します。
遠くに和歌山県の水平線が見えました。
展望台に上り、成ヶ島の景色を広範囲に眺めました。
東は紀淡海峡。西は由良港。西の景色は絶景です。
昭和25年(1950)、成ヶ島は瀬戸内海国立公園の一部になりました。絶滅危惧種に指定されている動植物が繁殖している貴重な島です。
全長約2.5km。北の成山(標高52m)と南の高崎(標高23m)を結ぶ細長い島で、「淡路の橋立」と呼ばれています。
もともと陸続きで、江戸時代初期まで淡路島とも砂州でつながっていました。慶長16年から寛永12年(1610-35)まで成山山頂に城があったようです。
寛永(1624-45)から明和(1764-72)にかけて、蜂須賀氏により由良湾北側と南側の両水路が開削され、由良港は江戸と大坂を結ぶ菱垣廻船の重要な寄港地になりました。
現在の由良港は、大衆魚から高級魚まで新鮮な魚介類が豊富に採れる、淡路島屈指の良港として知られています。