洋菓子の道具たち① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 先月のことですが、新神戸の竹中大工道具館で開催された「洋菓子の道具たち」を見に行きました。

 

 

 洋菓子の型からお菓子の歴史を辿るという企画展です。

 

 

 展示品は全て尼崎市のエーデルワイスミュージアムから提供された物でした。

 

 

 こちらはエーデルワイス社の職人が作ったウェディングケーキ。

 

 

 ウェディングケーキの考案者は、フランスの菓子職人マリー・アントワーム・カレーム。1810年、仏ナポレオンとオーストリアの王女マリーとの婚礼で作ったウェディングケーキは、建築と料理を結び付けたことが画期的で、カレームは偉大な料理人として後世に名を残しました。

 

 

 ウェディングケーキはピエスモンテ(仏語で小片を組み立てた物)の最高峰。後にチョコレートや飴もピエスモンテの素材になりました。

 

 

 ピエスモンテの製造を動画で見ました。素材造り・パーツ造り・組立など、作業は分担で行われているようです。

 

 

 パーツが壊れないように組み立てるのはもちろんのこと、素材にムラができないように、品質が変わらないように、温度を湿度を細かく管理しているという話を聞きました。

 

 

 洋菓子の歴史は、紀元前177年頃、貴族のお祝い事で配られたのを皮切りに、菓子職人組合の設立や王族の婚姻などにより、ヨーロッパ各地に広がり、様々なレシピの考案や技術革新により発展してきました。

 

 

 西洋の菓子が発展していった時代、お菓子と言えば貴族や富裕層が楽しむ物で、銀食器やフランス王立窯のセーブル焼などに盛りつけ、華やかに飾られたようです。

 

 

 銀食器は戦時中など緊急の時は貨幣同様の価値があり、所持していることが富の象徴で、一族の誇りとして裕福な家庭では代々引き継がれていきました。

 

 

 菓子缶が誕生したのは1832年。イギリスで錫製の缶詰が作られたのと同時期に、ビスケットの破損予防と通気防止のため、輸送用の缶が作られました。

 

 

 19世紀中頃になると庶民向けに、様々な装飾を施したブリキ製の缶が作られるようになりました。1900年代後半に紙の包装が主流になるまで、菓子メーカーはクリスマス商戦向けに新作を発売したり、自販機をミニチュアにして配布したりしました。

 

 

 こちらは1981年製のブリキ缶で、チャールズ皇太子とダイアナ妃のご成婚記念に作られたものです。

 

 

 こちらは1932年製ビュケラー社のポスター。ビュケラーは1850年にベルギーで創業したビスケットメーカーの老舗です。このポスターは当時の商品を集めたポスターで、CINDERELLAという商品から日本でおなじみのMARIEまで多くの種類を製造しました。