午後2時半。箱木千年家に到着。入口の戸を開けるとご主人が居られました。
ここで販売している民芸品は、全てご主人の手製だとか。
入館料300円を払い、中に入りました。
箱木千年家は、1977(昭和52)年に呑吐ダムを建設するにあたり、そのままでは水没してしまうことから移築され、史跡として一般公開されるようになりました。
土蔵と納屋には、同年行われた解体調査や発掘調査に関する資料が展示されています。
土蔵は展示というよりは物置。明治期の立派な農具が揃っていて、箱木家は地元の有力な農家だったことが分かります。
発掘調査では、須恵器や甕、灯明皿、宋銭、軒瓦などが出土しました。
調査が行われるまで、主屋は平安時代の806(大同元)年に建てられたという説が有力でした。その根拠は、摂津名所絵図会(1796-98)にあったようです。
しかし炭素年代測定により、鎌倉時代の1283年から1307年に伐採された木が、主屋の6本の柱として使われていて、建物の構造から室町時代前期に建てられたという説が一般的になりました。
柱の位置から3回改築していて、最後の改築が江戸時代後期に行われたこと。主屋とはなれが一棟に連結されたのはその時で、もともと別棟だったことも判明。
移築前の建物は、現在地から約70m離れた西北にあり、1977(昭和52)年まで実際に人が住んでいました。
こちらは移築前の建物の模型。主屋とはなれが一棟に連結され、軒先に段差があります。
上が移築前の平面図。主屋とはなれが連結され、一棟になっています。下が移築後の平面図。主屋とはなれが別棟になっています。
主屋は室町時代前期の建物を、はなれは江戸時代中期の建物を復元。軒の高さや壁の質が時代の差を感じさせます。