天龍寺 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 3年前の夏に訪れた天龍寺。訳が分からないまま竹林の道に出てしまったという記憶が残っているため、再訪問しました。

 

 紅葉シーズンの嵐山は人が溢れていました。天龍寺は世界遺産に登録されているので尚更です。日本人よりも外国人客の方が目立ちました。

 

 天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山です。1339(暦応2)年、後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓国師を開山とし、創建されました。

 

 この地は、檀林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあった所で、のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・亀山殿が営まれたとのこと。後醍醐天皇はここで幼少期を過ごしたそうです。

 

 夢窓国師は堂塔建立の資金調達のため、天龍寺船による中国元との貿易を進言し、七堂伽藍は1343(康永2)年にほぼ完成。夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第1位の寺格を誇りました。

 

 創建以来8回の大火に見舞われ、現在の建物の多くが明治期の再建です。

 

 方丈襖絵は、天龍寺第8代管長・関牧翁(1903-1991)の友人で、富岡鉄斎の孫弟子である若狭物外(1887-1957)によって描かれた、雲龍図です。この絵を見て3年前の記憶が蘇りました。

 

 普段は法要で使用される書院も、この日は写真を撮る人達でいっぱいでした。

 

 夢窓国師が作庭した曹源池(そうげんち)庭園。

 

 嵐山や亀山を借景とする雄大な庭園で、国の史跡・特別名勝第1号に指定されたとか。

 

 渡り廊下を歩きました。

 

 裏庭には茶室が2つ。祥雲閣(しょううんかく)は表千家の茶室で、甘雨亭(かくうんてい)は裏千家の茶室です。

 

 茶室の隣は待合室。関係者しか入れないようで、非公開でした。

 

 多宝殿は亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした地で、現在の建物は1934(昭和9)年、当時の管長であった関精拙(1877-1945)が完成させたものです。

 

 中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られています。

 

 観光客で賑わっている中、写経する人もいました。