表米神社から朝来橋へ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 表米神社への急な石段を上りました。

 

 途中竹田城跡への登山口があり、下山してきた人達とすれ違いました。

 

 門をくぐり境内へ。案内板によると、祭神の表米親王は孝徳天皇の子で、丹後白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した功績を残したようです。

 

 神社は宝永年間(1704-1711)にこの地へ移され、上竹田地区の産土神社として崇められるようになりました。

 

 この神社の特徴は相撲桟敷があること。土俵の正面には舞台があり、歌舞伎の見物も行われたようです。

 

 石段を下り、表米神社を出ました。

 

 金毘羅神社前の石橋は、1704(宝永元)年に、若松屋平位久右衛門が、生野街道の恵比寿神社にあった橋を移設したため、えびす橋と呼ばれています。

 

 竹田町を貫通する絹屋溝は、1824(文政7)年の大洪水の後、絹屋治左衛門が整備を行い、治水と防火の役割を担いました。

 

 旭町の六体地蔵は但馬で最も古い六体地蔵の一つで、うち一体は、1694(元禄7)年に建立されたようです。

 

 円山川憩いの公園に出ました。

 

 朝来橋を渡り対岸から公園を一望しました。

 

 おかちという娘がかなわぬ恋に世をはかなみ、身を投げたという話が伝わる円山川。その話から竹田交差点には地蔵菩薩が祀られています。

 

 国道312号線沿いを歩きました。桜並木が真っ赤に紅葉し、秋の深まりを感じました。