国道2号線沿い左折し、県道393号線沿いを歩きました。
生石(おうしこ)橋を渡ろうとした時、左手に竜山石(たつやまいし)採石遺跡群が見えました。岩肌が生々しく、遠くからでもパワーが伝わってきます。
高砂市総合運動公園の前を通り過ぎ、生石(おうしこ)神社の参道に入りました。
鳥居をくぐり、急な石段を上りました。
石段は150段ぐらいあったと思います。
祭神は大己貴神(おおなむちのみこと)と少彦名神(すくなひこのみこと)の2神で、創建は紀元前85(崇神13)年とされています。
社伝によると、崇神(すじん)天皇の夢枕に2神が現われ、「私達を祀ると疫病は鎮まり、世の中が平和になる」と告げた事から、この地に神社が創建されました。
霊岩に触れた手で身体の悪い所を撫でると、その部分が治ると信じられてきました。
本殿に祀られている石の宝殿は謎が多く、日本三奇の一つと言われています。
石の宝殿は、幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m、重さ500トン超の浮石で、古墳時代に祀られました。
大きすぎて全体が見えなかったので、上から見ようと宝殿山を登りました。幕末にここを登ったシーボルトは、石の宝殿の詳細なスケッチを残したそうです。
上から見るとブラウン管テレビのように見えました。石の宝殿は出雲国から播磨国に訪れた2神が一晩で建てた未完成の宮殿です。建設中に土着の神の反乱が起こり、鎮圧している間に夜が明けてしまったため、横倒しのまま起こすことが出来なかったとのことです。
山頂には大正天皇行幸の碑が建っていました。
南側には、高砂市総合運動公園や、竜山石採石遺跡群が見えます。
北側には、高御位山(たかみくらやま)が見えます。
竜山石は約1億年前の白亜期後期に西日本で起こった大規模な火山活動によって出来た石です。
加工に適した強度と粘りのある凝灰岩(ぎょうかいがん)で、古墳時代から1700年もの間採石され続け、建築物や石仏等に使用されてきました。