神子畑選鉱場跡からバスで1時間15分。明延(あけのべ)のバス停で下車。坑道見学の手続きをし、ヘルメットを受け取りました。
持ち時間15分。明延鉱山にトイレは無いのでここで済ませておくように、とガイドさんから指示がありました。同行者は皆、用を足した後バスに戻ってしまったため、一人で一円電車の展示を見ました。
一円電車は架線式電気機関車に客車専用車両を接続して動きます。客車専用車両は金銀銅にちなみ、「白金(しろがね)号」「黒金(くろがね)号」「赤金(あかがね)号」3種類が運行していました。
定期運行日(4~11月の第1日曜)には、くろがね号が70mの路線を走ります。運賃は今でも1円。明延住民の足として利用されていた時代と運賃が変わらないということで話題になったのは記憶に新しいことです。
「一円電車」の正式名称は、「明神(めいしん)電車」です。
明神電車は1929(昭和4)年に開通した鉱石運搬車で、明延鉱山から神子畑(みこばた)選鉱場までの約6kmの区間を走りました。人を乗せるようになったのは戦後になってからです。1987(昭和62)年明延鉱山の閉山に伴い廃止されました。
バスで明延鉱山に移動しました。この後すぐに明延坑道を見学し、外の展示を見ました。
明延坑道を出た所に、鉱山時代の事務所を改築した資料館があります。ここも予約しないと入れないようです。
こちらは明延住民を乗せた「赤金(あかがね)号」。この車両だけでは動かず、架線式電気機関車を接続して動かしました。
架線式電気機関車の種類は用途により重量4トンから10トンまであります。鉱石の運搬には、10トン電気機関車と5トングランビー鉱車30両の列車を重連方式で接続し、選鉱場のある神子畑まで約6kmの間を輸送していました。
鉱山での運搬作業には、バッテリーで動く蓄電池機関車を使っていました。蓄電池機関車の重量は2トンから4トンまであり、最盛期には約80台の蓄電池機関車が稼働していたそうです。