JR生野駅 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 姫路から播但線に乗り、寺前で和田山行に乗り換え。ここから先はICカードが使えません。


 

 車内で運賃を精算し、生野駅で下車しました。

 


 駅構内の朝来(あさご)市観光案内所に入りました。


 

 生野町はかつて「佐渡の金、生野の銀」と言われた国内屈指の鉱山町でした。開鉱は807(大同2)年で、江戸時代には幕府の管轄に、明治時代には官営鉱山となります。1896(明治29)年からは三菱が鉱山を運営し、1973(昭和48)年閉山まで、町は鉱山で賑わいました。


 

 町内には鉱山に勤める人達の社宅が建てられ、東京から赴任した職員の社宅には、都会のモダンな文化が届いていました。そのひとつが社宅の食卓にのぼっていたハヤシライスです。まちぐるみで懐かしい社宅の味の復刻が始まり、昭和30年代と40年代の生野ハヤシライスが誕生しました。昭和40年代のハヤシライスは絶品です。


 

 紅茶の原料になる茶葉が、生野銀山茶として多くの家庭で自家栽培されていました。こちらは豊臣・徳川の時代から栽培されている歴史あるお茶でもあります。生野銀山茶は日本茶のような紅茶で少し苦みがあります。


 

 駅西口に出ました。緑に囲まれた駅舎は、まるで山小屋のよう。彫刻が周りの風景に溶け込んでいます。

 


 牛尾啓三(1951-)のカラミッドは、2017(平成29)年に生野銀山が日本遺産に認定された記念に建てられました。ブロック状のカラミ石をピラミッドのように積み上げ、生野銀山と坑道を表現したようです。


 

 カラミとは、掘り出した鉱石を木炭を使って高温で溶かし、銀や銅を採り出した時に出たカス(鉱滓・こうさい)が冷えて固まったものです。観光案内所にカラミ石が展示されていました。


 

 山田顕義終焉の地碑は、日大創立100周年を記念して1989(平成元)年に建てられました。明治新政府の司法大臣等を歴任し、日大を創立した山田顕義は、1892(明治25)年に生野町を訪れ、生野の変で自刃した一門の河上弥市(1843-1863)の菩提を弔い、その帰途生野鉱山を視察中に倒れ、帰らぬ人となりました。享年49でした。


 

 バスに乗り、生野銀山に向かいました。