そろばん博物館(播州金物) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 豊臣秀吉は、1580(天正8)年に三木城を攻め落とした後、三木の復興に努め、別所長治(1558-1580)の保護政策を引き継ぎ、年貢の減免措置等を行ったため、多くの領民が三木に戻って来ました。この後三木で播州そろばんの製造が始まり、それが隣町の小野に伝わり、生産の中心地が小野に移ったことは、先日お話した通りです。

 

 荒れ果てた街を立て直すため、家屋の修復等に多くの職人の力が必要になり、大工や左官が三木に集まりました。その大工や左官が使用した道具が三木金物のルーツになったようです。三木金物は、伝統的な和鉄・和鋼の鍛錬により、切れ味が鋭いのが特徴です。鋸(のこぎり)・鑿(のみ)・鉋(かんな)・鏝(こて)・小刀(こがたな)は、三木の伝統工芸品に認定されました。

 

 三木金物とともに地域経済の発展に寄与したのが、小野の家庭刃物です。家庭刃物は古くから小野市を中心に発達し、剃刀(かみそり)・鋏(はさみ)・包丁類の家庭刃物の製造は、江戸時代に農家の副業及び家内工業として小野周辺に広まりました。


 延亨年間(1744-1748)に、剃刀(かみそり)が製造されたのを始め、

 

 1807(文化3)年に握鋏(にぎりばさみ)が、文化年間(1804-1818)に包丁の製造が始まったと伝えられています。

 

 その後も生産技術の改良や機械化が行われ、明治時代には品種が多様化しました。1911(明治44)年には刃にさやを付けたナイフが開発され、小刀を改良した現在の包丁が考案されました。


 さらに握鋏の不振から、1930(昭和5)年にラシャ切鋏が研究開発され、池ノ坊(いけのぼう)鋏・剪定鋏・散髪鋏なども生産され始めました。

 

 このような流れとともに業者数も増え、小野周辺地域は刃物産地としての基盤を確立したようです。