【200530⑤】上野道 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。

 

最初は傾斜が急なジグザグ道。

 

 

道がぬかるんでいて滑りそう。

 

 

ぬかるみの原因は、弘法大師が飲んだという伝説の湧水でした。

 

 

ぬかるみの後は落ち葉。これも滑りやすい道です。

 

 

三権現社跡で尾根コースと合流。

 

 

親子杉の倒木をくぐり、

 

 

摩耶史跡公園を通過。

 

 

旧天上寺の石段は段差が大きく、こうして見ると足がすくみます。

 

 

長い石段を降り、旧天上寺仁王門を通過。

 

 

その後も石段が続きました。

 

 

ここには昭和30年(1955)頃まで、アメヤというお茶屋があったそう。

 

 

青谷道との分岐点は、摩耶ケーブル下駅方面(上野道)を選択。

 

 

のんびり歴史散歩になりました。

 

 

宝匡印塔は旧天上寺の遺構で、元々はお経を納める塔だったとか。

 

 

歩きやすい平坦な道。この先何かありそう。

 

 

かつて「下のアメヤ」と呼ばれていた峠茶屋。「ネコのフン」というお菓子もあったそう。

 

 

分岐点は虹の駅経由コースを選択。歴史散歩は続きます。

 

 

こちらは、昭和元年(1926)に開業し、昭和35年(1960)頃廃業したという、摩耶花壇。

 

 

宿泊施設で、釜風呂(サウナ)があったそう。

 

 

摩耶ビューラインが近く、木の隙間からロープウェイのゴンドラが見えました。

 

 

高尾大明神を通過。

 

 

虹の駅ロープウェイのりばに到着。階段を下り、ケーブルカーのりばに移動しました。

 

 

駅舎が離れているのは、大正14(1925)にケーブルカーが、昭和30年(1955)にロープウェイが開通したため。

 

 

昭和4年(1929)に従業員の宿舎として開業し、昭和45年(1970)に廃業した旧摩耶観光ホテル。廃墟となった今、無許可では入れません。

 

 

虹の駅が旧天上寺への門前駅だった時代、この辺りには出店が建ち並んでいたそう。

 

 

閉店後は、建物の解体資材を下界へ搬出するのが難しく、近くの展望台の下に埋めたとか。

 

 

その展望台が千万弗展望台。その名の通り、夜景スポットでもあります。

 

 

坂を下り、虹の駅を後にしました。

 

 

数分後、摩耶ケーブル下駅直通コースと合流。再び急勾配を下ります。

 

 

以前カラスの溜まり場になっていた、五鬼城展望公園。

 

 

今回はゴミ一つ無く、がらんとしていました。

 

 

ここは以前、イノシシに出くわした所。

 

 

できれば避けたい道ですが、時間の無い時はつい使ってしまいます。

 

 

人里近い所にイノシシ注意の看板がありました。

 

 

幸い今回は何のハプニングも無く、下山できました。

 

 

下山を1時間早めたのが、功を奏したようです。

 

 

摩耶ケーブル下駅に到着し、この日のハイキングは終わり。

 

 

坂バスに乗り、灘駅に向かいました。

 

 

おわり