詩仙堂 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 金福寺から歩いて5分。詩仙堂に着きました。詩仙堂は、徳川家康に仕えた石川丈山(1583-1672)が、晩年を過ごした所です。

 

 丈山は1583(天正11)年、三河国(現在の愛知県安城市)に生まれました。石川家は先祖代々徳川譜代の臣だったため、16歳で家康に仕え、近侍となりました。しかし、33歳の時、大坂夏の陣を最後に、徳川家を離れます。

 

 その後、文人として、京都で藤原惺窩(せいか)に朱子学を学びました。丈山は隷書、漢詩の大家であり、煎茶(文人茶)の開祖として、後世に名を残しています。

 

 詩仙堂を造営したのは1641(寛永18)年。その時丈山は59歳でした。1672(寛文12)年に90歳で亡くなるまで約30年、聖人や賢人の教えを自分の勤めとし、過ごしたそうです。

 

 丈山が読書三昧の日々を過ごした詩仙の間。壁には丈山が日本の36歌仙に倣って選定した、中国の漢晋唐宋の詩家36人の肖像画が掲げられています。肖像画は狩野探幽が描き、詩は丈山自身が書いたものです。

 

 詩仙堂は関西屈指のさつきの名所として知られています。

 

 太陽の光を浴びて一斉に咲くさつきの花。鮮やかで光沢があり、とても活き活きとしていました。

 

 木陰から涼しげな添水(そうず)の音が聞こえてきました。もともと鹿や猪が庭を荒らすのを防ぐために備えられた装置で、「鹿(しし)おどし」とも呼ばれています。竹筒に水が溜まり、反転して水が流れ、元に戻って石を打つ様子を観察しました。

 

 ピンクのさつきに黄色い菖蒲。初夏らしいとても鮮やかな色合いの庭です。

 

 庭のさつきはぽつぽつと咲いていました。

 

 丈山も茶室で客をもてなし、四季折々の景色を堪能したことでしょう。

 

 5月23日は丈山の命日。25日(金)は遺宝展の一般公開初日で、丈山が書いた詩集や、朱子学の書物、使用した硯などが展示されていました。一般公開は27日(日)までの3日間。ちょうど良い時に拝観できました。